いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/06/21 (日) アンバランス/簡易生活のすすめ

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最近は眠い時に寝られると、すこぶる体調が良い。
今までは変な時間に寝ると起きた直後から決まって頭痛が始まっていたので、なるべく夜の定刻に寝るようにしていたけど、それはあまり関係なくなったのかもしれない。
体質に変化があったのだろうか。寝られるときに眠れるかが重要。

翌朝。昨日の疲労が回復していない。体調、良くなったんじゃなかったのか。
精神的なものではなく、身体的な疲れだ。最近はあまり感じなかったけど、蓄積されていたのだろう。
外は涼しくて動きやすそうでもったいないけれど、今日の仕事は念のため控えておく。
月曜日から天気が崩れるらしいし、そちらに集中だな。

賃貸契約を更新した。でも、物件探しは引き続きやっていくことにした。
アンテナを立てておいて、良い物件に巡り合えば引っ越そう。更新料がもったいないけれど。

コーヒーを淹れる。
エチオピア/シダモG1。グジ地区タデGG農園。ナチュラル。浅めの中煎り。

有名どころの豆。香り高く、ストロベリーやラズベリーに例えられることが多い。
品種は「エチオピア原種」と紹介されている。これはエチオピアのアラビカ種のうち人為的な品種改良を受けていないもの、という認識で合っているだろうか。
豆の状態からストロベリーの香りがものスゴイ。"イチゴ臭"と言ってもいいくらいの甘い芳香。挽けばさらに濃密になるけど、ややスパイシーにもなる。
淹れたお味も、やっぱりストロベリージュース。香りがそのまま味になったイメージ。
ナチュラル精製なこともあり甘み寄りのバランスに磨きがかかっている。浅めの焙煎だけど、酸味は非常に軽やか。苦味はほとんど感じない。鼻から抜ける感じもモロに「苺」。冷めても「苺」。
いつまでも口の中に残るような嫌味がなく、いくらでもゴクゴクいける。人気なのもうなずける。
本当にコーヒーなのか? と疑いたくなるほどフルーツジュースっぽい。間違いなく美味しいけど独特なので、これに合うお菓子を探すのは苦労しそう。

夕方。紫色の空が不気味。

夜。体調は活動的になるけど、気分は落ち込む。
何だか、アンバランス。

「簡易生活のすすめ 明治にストレスフリーな最高の生き方があった!」(著:山下泰平)を読み終える。

明治の頃、西洋文化の影響から「簡易生活」を志す人が現れた。だけど、

本来の簡易生活は「物欲におぼれず簡素な生活を送り、思いやりを持って生きていこう」程度の意味しか持たなかった。
ところがこれを受け入れた日本の人々は、独自の解釈をしてしまい、別方向へと進化させ始める。
(「まえがき」より)

なぜ独自の進化を遂げたのか、読み進めると何となく想像がつく。どうやら「煩わしいのは止めにして、合理的に行こうぜ」と人々が思うほどには、当時の日本における大衆文化は相当"面倒くさかった"らしい。
現代と比べて当然設備も乏しく、貧富の差も大きいとされていた頃に、服装の指定、来訪者との面談、食事の用意にいたるまで、手間とお金のかかる事象が当たり前だった。それらが解消された状態が「簡易生活」だ、とされたらしい。
著者は、その日本独自の簡易生活に関して、実際にどんな人がどういう活動をしたのかを古書を紐解いて調べ上げ、エピソードを紹介している。個人的な範疇で生活を改善しようとする人もいれば、「社会が変わらないとダメだ」としてウネリをつくろうとする人もいた。
しかし、やっぱりそのようなことを目指す人々は「変わり者」と見られたのか、日本の簡易生活の考え方は大正時代を経て廃れてしまう。やろうとしていたことは現代で当てはめてみてもそこまで違和感はない。それでも消えてしまったところが、日本らしい。時代を先取りしすぎたか。面倒くさいの大好きだものな。日本人。
廃れたように見える簡易生活。だけど「嫌なことは断ろう」「便利さを追求しよう」が当時のスローガンのようだ。これなら、今現在巷で叫ばれていても不思議ではない。一定の支持があって、それこそ適当な見出しを付けて書籍化されて本屋さんに並んでいたりする。考え方そのものは無くなっていない。
要するに、日本の文化に馴染めない人は昔から一定数いた、ということなのだろう。和服から洋服へ移る際にも、

結局のところ、太平洋戦争の開戦前後、社会的な強制や実用的なものを選ばなくては命の危険があるといった状況に陥るまで、和装から機能性に優れた服へのシフトは起きず、それは皮肉にも戦時の窮乏と相互監視の社会で、質素のみの服を強制されることで起きた。
(「第5章」より)

つい最近のウイルス騒ぎで、これと似たような現象を見た気がする。
生活を変えるというのは、難しいな。たとえそれが今より"簡易"だとしても。