いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/06/03 (水) 自意識/iPhoneを修理に出す

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自意識過剰を遠回しに咎められる。
重々承知である。ただ、面白いのがその言い方で、
「私は自意識に構っている暇なんてないのよ」
と半笑いで言うのである。要するに、ほかにやることがないから自分の意識が内面に向かおうとするのだ、と。
「自意識が過剰で何が悪いのだろう」「むしろあなた自身が自意識を遠ざけているのでは?」とか思ったりする。だけど、ひとまず置いておいて。
自意識に構ってやれるのは自分自身だけだと認識している。それでは、構われなくなった自意識はどうなるのだろう。意識しない状態の自分は何者なのだろう。自意識に構わず生きるとはどういうことだろう。
"自己認識"とごちゃごちゃになり混乱する。

頭が良くなりたい。

独自性欲求

定例となっている病院の外来。
医者に対しては特に話すこともない。ただの生存報告。
予約時間に到着してから1時間遅れ。それに対し、診察時間は10分もない。これだけのために毎度仕事を休んでいる。
もういいんじゃないか?

臨時で仕事に駆り出されるも一瞬でボロボロになった新型iPhoneSE。修理するにも有償だし、そのまま使い倒そうとしていたけど、画面についた傷に指が引っ掛かるのがどうしても気に食わず、やっぱり直してもらうことにした。スマホ決済アプリでバーコードを読み込ませる際にたまにエラーが出るようになったのも、画面の傷が原因だろうし。
修理依頼の予約を自宅からオンラインで行い、「Apple正規サービスプロバイダ」なるお店に持っていきiPhoneを店員に預ける。すると、お店の奥の方でしばらくゴニョゴニョした後、この程度の傷では修理の対象にならないと言われる。画面にヒビが入っている程度でないと修理はしないという。Appleに相談してくれ、と。
突っ込みどころが多すぎる。
確かにクラックの類は一切無い。小さな打痕が無数にあるだけだ。それで不都合が出ているのだから直してほしいというのに。では、この場で画面を完全に叩き割ってしまえば修理するというのか?
実は、修理依頼をする際に事前にAppleサポートに問い合わせて、修理可能か確認済みだったりする。製品の状態を写真に収めてサポートに送付したところ、通常の画面割れの修理と同じように対応できるとの返答だった。そのことを店員に話したところ、またしばらく内部でゴニョゴニョ。やっと渋々ながら受け取ってもらえた。その際、
「通常は修理は行っておりません」
「それでも修理の意志があるのでしたらお受けいたします」
ハッキリそう告げられた。何を言っているんだ? "修理の意志"? 予約してまで修理店に来ているのに? あからさまに馬鹿にされてしまった。いいけど。
軽傷なので直すに値しない、という判断を「店側が」するのが理解できない。軽かろうが重かろうが具合が悪くて直してほしいのだから、即刻修理にまわしてもらいたい。おたくら本当にAppleの正規修理店なの? むしろ逆で、Appleの正規修理店だからこういう対応なの?
修理希望のユーザーに対して「こんなの壊れたウチに入らないよ。全然問題ない。そのまま使いなさい」と平気で言える面の皮の厚さ。ちょっと羨ましくも思う。アメリカらしいといえばその通りだけど。
一応今回は追い返されることが想定できたので、事前の処置が保険として効いて事無きを得た。でもその代わり、Apple製品の値段が高いのはアフターサポートの手厚さもあるからだと思っていたけど、それは誤解だということが判明した。
1時間ほどで修理完了。
有償の修理でこんな対応されるのだったら、次回買い替えるプライベート用のスマホは安価なandroid端末でいいや。

帰り道、100均で画面用の保護シートを買う。
ちゃんとしたヤツは別途注文済み。それが届くまでのツナギだ。
それにしても、ガラス製の保護シートってどうなんだろう。ガラスの保護をガラスでするのか? うーん。

歩き続けたので疲れた。