いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/05/04 (月) 「例のやつ」/自炊をやめる

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雨の朝。

先月悩まされた頭痛はようやく治まってくれたようだけど、回転性の眩暈が残っている。

駅前の松屋で腹ごしらえをしていると、おぼつかない足取りの老夫婦が入ってきた。
券売機に目もくれず席についた爺様が店員に
「例のやつ」
と、うわ言のように伝える。店員は当然何のことかわからない。
目玉焼きやとろろなどサイドメニューの小鉢ばかりを、だいたい2つずつ注文している。2つなのは、入店早々トイレに行った婆様の分もあるからだろう。ただ、伝えるメニューの中に同じものが2回出てきたりしたので、たぶん自分が何を食べたくて注文したのかわかってないんじゃないかな。
注文が面倒くさいから"例のやつ"で済ませようとする傲慢さ。それでやっていけるのだから、強い。
いろいろ型破りなお年寄り。こうはなりたくない。
でも、「こうはなりたくない」と感じることは、遅かれ早かれ大抵そのまま「こうなってしまう」気がするのが怖い。

眠い。眠すぎて、本がまったく読めない。

帽子をしばらく被っていると、耳たぶが痒くなる現象。

一週間ほど前から、自炊をまったくしなくなっている。
調理中に気分がガクっと落ち込むことが頻繁にあったからだ。
急に目の前の料理が無意味なものに思えて、しばらく虚無感を拭えなくなる。当然、食べても美味しくない。
自分の中にある何かと"料理する"という行為が結びついているのだろうけど、要因や対処の仕方がわからない。だから自炊をやめた。
冷蔵庫の卵やパン、野菜などはすでにダメになっていたので捨てた。こういうことが起こり得るのは承知しているけど、いつ起こるかわからない。だから普段から食料の買い溜めをしない。捨てる量が最小限となるからだ。それでも、廃棄はもったいないなと思う。
食器乾燥器に並べてある調理器具も、最近までほぼ毎日使用していたのに、暇を出すことになった。
いずれまた自炊を再開するだろうから、そのときのために廃棄せず長期保管することになる。再開は半年か1年後か。これもわからない。
こちらは食材と違って腐らないけど、実質捨てたのと同じだからもったいない気はする。
でも、仕方がないのだ。自身の安定のためには。
こういったことができるのは、一人暮らしだからだ。誰かと一緒ならば、「ある日突然食事のスタンスを180度変える」なんてことは易々とはいかないだろう。

仕事から帰る。
椅子に座り、そのまま3時間ほど意識を失う。

雨はあがる。

夜はYouTubeを観て時間が潰れる。
結局今日も、無下にしてしまった。
貧乏人には、暇なんて無いはずなのに。