いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/01/19 (日) サピエンス全史/シュクメルリ鍋

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他人のnoteを読む気が全く起きない。
普段からあまり読まないが、今日は特にダメだ。内容が頭に入ってこないばかりか、文字を見ることそのものを拒否している。

詩ができる。

morning-sneeze.hatenablog.com

口笛を吹いていると、酸欠になる。

死ぬとき、後悔することってあるのだろうか。
少なくとも、「やりたいことがまだやれてない」とは思わないだろう。
何か悔やまれることってあるか。
はやく死にたい。それだけ。
"合法的に死ぬ方法"。変な言葉。

「サピエンス全史」を読み終える。

電車移動中に眠気と闘いながらチマチマ読んでいたら、読み始めてから2か月ほど経ってしまった。
人の祖先の生活からキーとなる革命、現代人の様式まで、人類の変遷が簡潔にわかりやすく綴られている。堅苦しくなく、かなり読みやすい。
後半、人類の幸福について触れられている。
人間は、物語を通じていろんなことができるようになったけれど、はたして昔より幸せになっているのかしら? という文脈の中、幸福であることの結論の一つとして、

幸福は人生の意義についての個人的な妄想を、その時々の支配的な集団的妄想に一致させることなのかもしれない。
(第19章より一部抜粋)

と挙げられている。
これを著者は"自己欺瞞"と称している。でも、「幸せな状態とは何か」と考えたときにイメージするものは、この表現が近い気がする。
「これが幸せです」「こういうことが幸福というのです」という、得体の知れない大きな塊が宙に浮いている。それは掴めないけど目に見えはするから、答え合わせができる。
自分はどうだろうか。
それなりに安定していた職に就き、決められた時刻に合わせて労働し、家に帰ってくれば金の力で娯楽に耽っていた昔の自分は、幸福だったのだろうか。
その頃はたぶん、割とメジャーな生活をしていたのではないかと思う。でも、それが幸せだと思ったことはあったかといえば、首を横に振らざるを得ない。
周りのみんながやっていたことの真似をしていたに過ぎない。自分を欺いていても幸せな状態ではなかった。むしろ早く辞めたいと思っていた。結果身体を壊したし。
"支配的な集団的妄想"というものが、自身にとって幸せだと感じなかった。
別に幸福を求めて生きているわけではないけど、モデルケースが見当たらない状態で生活するのは、しんどいな。

食べてみたくなるよね。そこまで言うのならば。
ということで、久々に松屋で昼食。

松屋 シュクメルリ鍋

チーズとニンニクの間違いないコンビ。見た目はグラタン風。想像以上にニンニクが効いている。
そして熱い。とくに鶏肉。
確かに美味しい。芋はサツマイモじゃなくてジャガイモとかのほうが好みだけど、それはそれ。ビールにも合いそう。
でも、美味しいのだけど、この味は何かで代用できそうだな。

自宅に着くと猛烈な眠気。頭がドロドロしている。