いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2021/05/14 (金) 人生におけるボーナスタイム

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また寝坊した。せっかく先日叶わなかった病院外来に行こうと思っていたのに。
いつも目覚める時間に起きてくれれば問題ないようスケジュールを組むので、目覚ましのアラームをセットしないのに、用事がある日に限って遅くまでガッツリ眠ってしまう。
その代わり、起き抜けはさっぱりしている。睡眠ログによると定期的に深い眠りが訪れていたようで、目覚めの直前もノンレム睡眠となっていた。引っ越しから4週間。ようやく身体が落ち着いてきたということか。
 
食欲もある。昨日と打って変わって、いくらでも食べられそうな気がする。昨日のイライラも消え、眩暈もない。
 
どうやら今日は、年に一度か二度ある「すこぶる調子が良い日」のようだ。
 
何もせずとも自然と活動的になる人生のボーナスタイムみたいな状態なので、遠出にはもってこいなのだけど、時勢に従うとそれができない。なるほど、これが世の中の感覚なんだな。
出不精であり独りを好む自分にとっては、普段外に出たいと思うことは滅多にない。出ないで済むならそうしていたい。だから、巷で騒がれている「外出の自粛」や「"密"を避ける」ことに対する息苦しさを感じない。むしろこれを契機に世の中がどんどんその方向にシフトしていってほしいとさえ思っている。
でも、世に住まう大半の人はそうではないことも知っている。だからみんなしてあーだこーだ大騒ぎしているという認識だ。今の自分はめずらしくその大半の人側にシフトしているので、学校の教室で授業中の小学生の如く、その場から動けないことをもどかしく感じてしまっているのだろう。要するに、体調が切り替わるタイミングが悪かっただけなのだ。
 
そんなわけなので、"しぶしぶ"家で読書したりインターネットをしていることにする。コーヒーでも淹れるとしよう。仕事であるサイクリングはする気がないけど、もしかしたら夕方にするかもしれない。
アクティブになろうともハイテンションになろうとも、やりたいことがないのは結局そのままなのだ。
 
世界には、「調子が良い人」がたくさんいるのだな。
運動会が中止になったら、嬉し涙を流す側の人です。
 
引き籠っているのが褒められるのは、人前に出て目立ったり、物事に対してポジティブに働きかける活動をすることが"善"とされているストーリーがベースにあり、そこに上手く乗って大勢にわかりやすく立ち回れる人が、やれる状況にあってもできなくてじっと我慢している状況のことを指すのであって、陽射しがキツくて日陰どころか地中に埋まって見えないところで常日頃ウジウジしながら余生を過ごしている人はこの限りではないことを、衰弱していく心の片隅にいつまでも置いておかなければならない。
 
夜。体調が良いので配達業務をする。
週末なのでそれなりに注文が来るかなと思っていたけど、そうでもなかった。
 
呼吸が浅くなってきた。ボーナスタイムもそろそろ終了。また半年後にあるかな。