いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

『完全教祖マニュアル』を読み終える

『完全教祖マニュアル』(著:架神恭介、辰巳一世)を読み終える。
タイトルのとおり、○○の教祖になるために必要なTipsが、ユーモアたっぷりの文体でまとめられた本。
あとがきで著者自身も述べているけれど、教祖になろうとする側の視点で宗教に関する概念を説明している書籍は、意外と少ない気がする。
 
新興宗教の教祖として、宗教をビジネスとして成功させるためにはどうすればいいのか。本書で幾度も目にすることになるワード、「人をハッピーにすること」がキーとなるという。なにをどう活動しようが最終的に関わった人間をハッピーにできるのならなんだってOKなんだよ、ということに収れんするようだ。
 
「なにか言う人」が教祖となり、「それを信じる人」が信者となる
(「序章」より)
宗教とか教祖とか、そのあたりのことはさっぱりな自分の印象としては、結局のところブランディングの話なんだな、ということだった。大勢に支持される理論は? 達成するための戦略は? それらがうまくいくとブランドとして価値あるものになっていき、大きなお金が動くようになり、そこでまた人々から注目される。
"宗教"と聞くとといかにもオカルトでアヤシイものに感じるだけで、やっていることはれっきとしたビジネスモデルの構築だった。
 
この記事を作成しているとき、ちょうどジャニー喜多川による性加害問題が世間を賑わせている。ちょっと前には、イーロン・マスクツイッターを大変革してインターネット界隈を混乱させてもいた。こういったものも、宗教という名が付いていないだけで、内情は新興宗教と一緒のように見える。
長年席巻してきた名のある集団がじつはカルト教団で、トップが上手いこと丸めこんでいたけど外部から迫撃されて瓦解、ボロボロと崩れていく。
実力のあるカリスマ的な人物が運用の指揮を執り、現代に則した改革に励むも実情は私物化で、もと居た利用者たちの反感を買っている。
なんのことはない。前者は「なにか言う人」が居なくなって起きたことであり、後者は「それを信じる人」が信じなくなって離れているのである。いずれも宗教の看板を掲げていないだけで、起こっていることといえば教祖と信者の間柄がゆがみ信仰が薄れたのだ。ジャニーズ事務所にいたっては、"新興"宗教の括りになるのか判断がつかないけど。
 
アイドルへの疑似恋愛や、貨幣制度だってそう。世の中、教祖と信者だらけだ。自分が好きなオーディオの権威だって、ハンドドリップコーヒーの淹れかたひとつだって宗教だ。
なにかよくわからないものを敬っていることで正気を保つのは、意識していないというだけで当たり前のことなんだよなと思わされる。
 
「人をハッピーにすること」を掲げるのは、正義とみなされる。ハッピーは人類が追い求めるものとされ、生まれる前から死んだ後までハッピーであることを望む。だから、ハッピーになれるような仕組みづくりをする世の中であっても、それはおかしいことではない。これからもいろんな新興宗教が生み出されては消えていくことだろう。
教祖が甘い汁を吸おうが、ひとつの教義を妄信しようが、べつにいいのだ。当の本人がハッピーなら。
 

 
終。