いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/11/18 (水) コーヒーの人/大坊珈琲店のマニュアル

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未だに、引っ越しをするかどうか迷っている。
ウーバー配達を東京一本に絞るには、どうしたって都内に住む方が有利だ。でも、横浜だけでもある程度稼げるならば、わざわざ大枚を叩いてまで引っ越す必要もない。都心のほうが収入はあるけど、家賃が高いし。
また例によって、このままダラダラと時間だけ過ぎていくのだろうな。

悲しみ

脚が疲れている。
痛むような筋肉は無いというのに、筋肉痛がある。
そして、眠った後のほうが動かしにくいのはどうしてだろう。

午後は温泉に行くつもりでいたけど、ウーバー配達をして自宅に戻ったら動きたくなくなった。やめる。

コーヒーに関する書籍2冊を読み終える。
まずは、「コーヒーの人 仕事と人生」。

コーヒーの人

コーヒーの人

 

個人的に淹れて飲むコーヒーと、誰かに差し向けるコーヒーには、何か違いがあるのか。
薄っすら秘かに「コーヒーを出せる店をつくれたらいいな」と思っている自分にとって、カフェや喫茶店で勤める人の心情というか、どういった思いでコーヒーを淹れるのか、そこに必要なものは何かということに興味があった。
本書は、その道のプロと呼ばれる人々の、それぞれの熱量や哲学を垣間見れるものだった。「俺はこうやれば美味いコーヒーが作れると思っている」という信念を、お店に体現している様子が記されている。それは、素直に尊敬できるものだ。
漠然と感じていたことだけど、カフェでコーヒーを飲む人というのは、コーヒー自体を目当てで来ている場合は少ないのではないか。
本書でもしきりに語られるけど、「人とのつながりの場」として機能する。あるいは、機能することを目標とする。コーヒーを飲むことは、あくまでそのきっかけに過ぎない。そんな印象を受けたのが、なんだか寂しい気がした。
カフェテリアという場所に自分を佇ませたい。シャレた空間に馴染みたい。要するに、オシャレの一種。
日本にコーヒーを飲む行為が日常に定着して日が浅く、まだ文化としては未発達な部分もある。そこに殴り込もうとすると、コーヒー自体の品質を高めるのももちろん必要だけど、お店としての付加価値の存在がどうしても大きくなっていく。
コーヒーを飲むことが主役のはずが、いつのまにかその先にあるものに取って代わられてしまう。もし自分が店を転がしていくうちにそうなったら、やりきれなくて辞めてしまうだろうな。
商売としてやっていくには空間の総合プロデュースが必要で、それに力を入れるのはわかる。コーヒーの旨味って、たぶんそういうところからも抽出されている気がするから。
でも、なんだろうか。違和感がある。
カフェや喫茶店は、第一義はあくまでも美味しいコーヒーがいただける場所であってほしい。「コーヒーを通じて人生を問う」とか、「地域に根差したなんたらかんたら」とか、そういう難しいことはナシにして、ただただ美味しいコーヒーが飲める場所。身体を静かに休める場所。コーヒーと、それを飲む人が一対一で見つめ合える場所。
たぶん、そんなぶっきらぼうなことをしていたら、商売としてやっていけないんだろうな。
やっぱり、店を構えるのは、コーヒーでお金をいただくのは、自分には難しそうだ。

次に、「大坊珈琲店のマニュアル」(著:大坊 勝次)を読む。

大坊珈琲店のマニュアル

大坊珈琲店のマニュアル

 

前述の本と併せて買ってみたもの。
2013年に閉店した表参道の老舗「大坊珈琲店」の店主が綴った本。
このお店が営業していたころは、まだそれほどコーヒー自体に興味がなかった。かつて大坊珈琲という有名なお店があったということ自体、つい最近知ったのだった。
だから、もし当時このお店の存在を知っていたとしても、わざわざ出向くことはなかったのだろうな、という気がしている。その点は悔しい。いただいてみたかったな。
タイトルに"マニュアル"とある。だからこの本も、「老舗のコーヒーはこうやって作っていたんだぜ!」というのを知るには打ってつけだろうと思い購入した。どういうわけか、結構なお値段なんだよな。この本。
自家焙煎の深煎り豆を、ネルドリップで淹れていた。だいぶ濃くて苦味寄りの味が想像できる。
基本的に「甘みを引き出す」「酸味を0にする」ことに気を使って焙煎していたらしい。自身の感覚を頼りに試行錯誤して淹れていたという。
深煎りの豆ってだいたいどれも苦味が主張していて、甘みを取り入れるのは難しい印象だけど、それをやってのけていたらしい。すごい。

人がコーヒーを求めるのは、ひと休みの時に違いありません。
(p.38)

同じ人が二回淹れても味は同じにはなりません。
(p.64)

正直な方だな、と思った。
ただ、コーヒーに関する話は前半のみ。中盤以降は、あまり直接関係のない話がひたすら並んでいる。
演劇、陶芸、絵画など。これらが大坊珈琲店のコーヒーを淹れるにあたりどのように絡んでいたのか、イマイチ読み取れなかった。
店内に掲げてあった絵画の作者である洋画家の平野遼について相当量のページを割いており、むしろ平野遼という人物のほうに関心が向いてしまった。
読み続けるのが苦しくなってきたので、中盤以降はザザっと流し読み。
書名は「大坊勝次 懺悔の記録」とかのほうが合っている気がする。

好みの豆「ハロ・バンディ」を追加で確保。

morning-sneeze.hatenablog.comやや細かめに挽いて低温でゆっくり抽出すると美味しい。