いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2021/05/12 (水) 仕事は仕事/漂白剤

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二度寝して寝坊。
がんばれば間に合うけど身体が動きそうもない。病院外来は延期する。
 
責任は呪い
 
玄関周りの下水臭さは、対策した後はいまのところほぼ解消されている。だけど、臭みの感覚が未だに鼻に残っていて、玄関以外の場所で過ごしていてもふとした瞬間に臭いを感じてしまうようになった。よほど強烈だったようだ。
 
掃除したばかりの部屋を意味もなく再び掃除する。
 
コーヒーを淹れる。
コロンビア/ナリーニョ/バホ村/サン・フランシスコ農園。ディエゴ・ロペス。カトゥーラ種。ウォッシュド。フレンチロースト。
油分が溢れてつやつやしている豆。深煎りらしい香ばしい芳香。
淹れたお味は、ライトなバランス系。苦味が先行するけど、くどくなく、マイルドというよりは"軽い"感じ。それにより深煎りながら柑橘系の酸味と甘みもしっかり味わえる。
クリーンな印象のコーヒー。カトゥーラの系譜は苦手なものが多いけど、深煎りにすると美味しく飲めるのかもしれない。
 
引っ越し前に確保していたコーヒー豆の在庫が無くなってしまった。そして、新居は田舎ゆえ近所にロースターが無さそう。探さないと。
 
否応なしに「仕事をしない」となる日は、一日精神的に楽に過ごせる。
その日、最終的に仕事をしないと決めたとしても、その決意をするまで自身の体調やお財布の中身と相談しているだけで結構なストレスになっているようだ。前々から何か別の用事があるために仕事をしない、あるいはできない、とあらかじめ決まっている日の朝の、なんと軽快なことか。
 
インターネットではよく「プライベートに仕事が入り込んでいる」とか「仕事のオン/オフの境界が曖昧」という言動を見かける。勤め人の頃はそれを見て漠然と「ああ、そういうのもアリだよな。そういう生活のほうが気楽で生きやすいのかもしれない」と思っていた。だけど、状況が変わってそれが実現できる環境になり、自分なりにその行動パターンをなぞってみると、それほど気楽でもないことがわかった。
どんな生活をしようと、仕事は仕事として存在する。
メインとなっているフードデリバリーの業務は、システムの原則としてシフトの概念が無く自由に稼働できる。始めたいときに始めて、止めたいときに止められる。別の用事のついでにできるし、誰の承認も要らない。「どうしてもつらいなら帰ればいい」。それができるから続けられている。しかしいくら融通が利くようになっても、いくら自身で「配達じゃなくてサイクリングするんだ!」と鼓舞して誤魔化しながらペダルを踏んでも、そこに送迎料が発生する以上は性質上やっぱり仕事なのだ。
ただ適当に走っているわけではない。配送先をカバーする範囲の住所の記憶と、最適なルートの把握。時間配分。長時間ペダルを漕ぎ続けるために食事に気を配る。必要な設備投資もある。事故のリスクも当然背負う。それなりの準備のもと稼働する。少なくとも、単に自宅と駅前を往復するだけならそこまではしない。
そこまでした上で部屋から出て自転車に乗るとなれば、それはもう「散歩」でも「買い物」でも「何となく」でもなく、「仕事をする」ことが動機となるのだ。「出たくもないのにどうしてわざわざ部屋の外に出るのか」と問われれば、「サイクリングするため」ではなく「仕事をするため」と答えざるを得ない。サイクリングは趣味ではない。それ以外で自転車を運転する理由なんて、無い。
何せ、外に出るために心身の調子を整える行為も、本来ならしなくていいはずなのだ。朝起きて体調が悪ければ、部屋に籠ってボーっとしているか布団を被って寝ているかして、自然回復を独り粛々と期待していればいい。ただ、そんなことが許されない状況にあるだけだ。
「調子を整える」とは、意識的にするなら矯正の一種だ。体調を整えるのは仕事のため。本当はしたくないことに対してエネルギーを割かなければならないために必要なこと。「仕事しなくちゃ」「身体が動くようにしとかなくちゃ」と、長い時間をかけてよくわからない気合を入れるわけである。どこの誰とも雇用関係が無くなっても、サボっても怒られないとしても、やっていることは結局勤め人の頃と一緒なのだった。
オン/オフが入り乱れている生活って、要するに生活すべてが業務になっている状況ではないだろうか。仕事していることを意識しなくても勤め上げられる人間のことを指すのではないか。一挙手一投足がお金になる、みたいな。
無理だ。自分には。そんな特殊能力は持ち合わせていないし、そもそも仕事したくないんだもの。
今はフードデリバリーをしているけど、別の業種になったって変わらないんだろうな。それが仕事である限り。
 
ブラウザ版Evernote、以前は文字入力中にカーソルが暴れて使い物にならなくなってアプリ版に移行したけれど、試しに使ってみたら今は発生しないようだ。またしばらく使ってみよう。
 
自宅のシャワールームの消毒をする。ユニット内のいたる所にスプレータイプの漂白剤を吹き付けまくる。
当然ながら、塩素臭くなった。これも鼻にいつまでも残る。でもドブ臭くて気持ち悪くなるよりはマシ。
漂白剤の臭いは好きではないけれど、「滅菌しているぞ!」感があってよい。入手も容易だし、いつどんなところに使っても同じ独特の臭いを発するのも安心する。鏡の裏とか配管内とかに吹き付けた泡が茶色くなって出てくると「掃除してやったぞ!」という気分になる。判りやすいから好きなんだろうな。
 
インターネットで検索してみたところ、ロースターは結局駅前にしかないようだ。用事のついでに立ち寄ってみよう。
 

そうね。