いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/03/11 (水) 疲れたパンダ/鬱ごはん

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天気が良い。

渋谷。明治通りの街路樹に桃色の花が咲き始めていた。桜かな?
目黒川はまだのようだ。

気温は20度。暖かく清々しい。
これはサイクリングが捗りそうだ、と意気揚々とウーバー配達を始めるも、だんだんと気持ちが沈んでいき、最後の方は虚無感にイライラしながら走っていた。
天気が良かろうが陽が長くなろうが関係なく、うつ症状はやってくる。
というか、これを"鬱"と呼びたくない。病気というカテゴリーに位置付けたくない。
こういう状態になるのもまた、自分の特徴なのだ。
だから"治す"こともしない。できない。
苦しいのは鬱だからじゃない。今いる社会で生活しにくくてつらいってだけだ。
生きられる環境に身を置かなければならないってことだ。
鬱であるかどうかは、自分以外の他者が決めることだから。

スマホ決済アプリを使い始める。
交通系ICカードやクレジットカードを携帯しているのであまり使わない気もするけど、すべてのお店でカードが使えるわけではないし、試しにやってみよう、といった感じ。

目の周りに濃いクマができている。パンダの顔。いや、サングラスをかけているみたいだ。疲れているんだな。
行きつけのコーヒーショップで新しく入荷したコーヒーの試飲をさせてもらった。でも、味を感じなかった。"ちょっと酸っぱくて苦いぬるま湯"だった。
寝るしかないのか。寝ると何もできないぞ。

「鬱ごはん」(著:施川ユウキ)を読む。

鬱々とした気分で食べるご飯は美味しくないよ、ということを漫画で表現している作品。
"アンチグルメ漫画"の名は伊達じゃない。どの物語を読んでも微塵も食欲が湧かない。
でも、主人公「鬱野たけし」は、多分どんな気分のときでも美味しい食事をしないのではないかな。食事に何も感想がないというのはわかるけど、共感する部分はあまりなかった。
それに、この方がする食事は外食か出来合い品の買い食いであることが多い。鬱々しているという割には、結構外に出ているのだ。気分がどうであれ、なんだかんだしっかり注文してちゃんと食事をする。それができるのに「鬱ごはん」なの? というモヤモヤを拭えなかった。自分の場合は、気分が落ちていると外に出ることも誰かに会うこともないし、何かを口にすることもしないから。
物語のネタや構成的にそうせざるを得ないのかもしれないし、そのあたりは人それぞれかもしれないけれど。
"鬱"と"ごはん"が結びついていないのだな。
あと、そもそも外食ができるということは、それなりに収入があるということで。
3巻まで買ってあるけど、2巻の途中で読むのをやめてしまった。
鬱野たけしは鬱野たけしにしかわからないつらさを抱えているのだろう。

どんな"印"だったのだろう。

22日の文学フリマ前橋、開催中止のメールが届いた。

3月10日(火)に示されました新型コロナウイルス感染症対策本部の政府方針および、前橋市の周辺文化施設の休業状況などを勘案し、誠に遺憾ではございますが「第四回文学フリマ前橋」を【中止】といたします。

東京、どうなることやら。

夜。ちっともお腹が減らない。

風が強くなってきた。