いつか消える文章

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『ヒトは〈家畜化〉して進化した ― 私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか』を読み終える

『ヒトは〈家畜化〉して進化した ― 私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか』(著:ブライアン・ヘア、ヴァネッサ・ウッズ 訳:藤原多伽夫)を読み終える。
人間は歴史のなかで、自分で自分を家畜のように管理する能力があったことがアドバンテージとなったために、地球を席巻するまでになったのではないか、ということを述べた本。
 
「家畜化」という言葉は、正直あまり馴染みがなく、序盤でいきなり家畜化の話になったときはなんのことなのかよくわからなかった。言葉の意味として、「野生化」の逆のことか、くらいの感じで読んでいった。
 
野生の動物を人間が飼いならし、繁殖を管理することを家畜化という。ただし、人為的に選択するのではなく、累代が進むにつれて人間を恐れにくい、従順性の高い個体が自然淘汰で生き残り、結果として家畜化に適する動物として進化、繁栄したケースもあるのだとされる。
この、人間に寄り添うことを生存戦略とすることを「自己家畜化」と呼ぶらしい。
 
そして、もしかするとこれが人間自身にも起きたのではないか。ガタイがよくて屈強だったとされるネアンデルタール人が絶滅してホモ・サピエンスだけが生き残り世界に広まったのは、自己を家畜化する能力がほかの人種よりも高かったからなんじゃないか。その高い能力の弊害として、自分と敵対する人間は、野蛮な野生動物に近いものとして見做すことで攻撃できるようになったんじゃないか、ということを述べている。
 
人間に友好な人間が生き残ることができた。
端的にはそういうことらしい。本当にそうだったとしても、別段の異論はない。
ただ、最後まで読んでみても、タイトルにもある「家畜化」という言葉は自分のなかでしっくりこなかった。
そもそも、なんでわざわざ「家畜化」としたのだろう。原題の『SURVIVAL OF THE FRIENDLIEST』(仲良しこよしで生きていきましょう)そのままでも意味が通じるし、当たり前だけど内容とも齟齬が無い。
 
なんとなく専門用語っぽい「自己家畜化」という言葉そのものも、おかしな感じがする。人間が自分たちの食糧を確保するため、あるいは労働に使役させるために飼いならされた動物のことを家畜と呼ぶ。その単語と"自己"が意味として結びつかない。おのれを家畜にする? 訓練とか調教とか自己暗示とかそういう話か? となる。
だいたい、人間が人間に対して寛容であることと家畜であることは、別の話である。
 
また、優生学の話も少しだけ出てくる。「優生学は必ず失敗する運命にあった(p.207)」としてNGを出しているけれど、だったらなおさら、なんで家畜という単語を用いたのだろう、と思わざるを得ない。優秀なオスとメスとを人為的にかけ合わせたり、都合の悪いものはバッサリ切り捨てる。これらがまさに家畜であることの本質的な部分なのに。
 
根源にある重要な部分を、自己家畜化という言葉ではぐらかしているような気がする。なにかを言っているようで、そのじつ上っ面を滑っているだけだったようにも思う。
じっくり読んじゃったけど、流し読みでもよかったな。
 
終。