いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2023年3月 身辺雑記

 

日記

 

3月3日(金) グロッキー/背反

昨日あたりから花粉で風邪ひいたみたいな状態になっている。
 
早く寝て早朝に起きてランニングしようと意気込むも、さっぱり眠くならず、結局ウトウトしだしたのは4時過ぎ。ただ、起床は8時だった。例によってタバコの臭いで息苦しくなって目覚めた。
睡眠不足ではあるものの、せっかく早起きできたので、ランニングはしようと思う。
 
屋外ランニング2回目となる今日は、先日の倍の距離として2kmくらいにしてみる。速度も相変わらずウォーキングに毛が生えた程度。それでも、1km走るだけでけっこう厳しい。
川沿いを走り、目標地点としていた場所でいったん休憩。お茶を飲んでから復路へ。
4、5分ほど走ったところでグロッキーに。自宅はやや高台にあり、そこまで緩いながらも長い上り坂となっている。普段はあまり気にしていないけれど、ヘロヘロの状態で走っているとちょっとした登板でも大層な負荷になるらしい。
なんとか帰宅。鏡に映る顔面がいつも以上に蒼白、というより土色をしている。軽い吐き気もある。
シャワーを浴びる前に、トーストとベーコンエッグを作り朝食とする。
 
とっても健康的なことをしているはずなんだけどな。そのはずなのに、体調がすこぶる悪い。
 

知りたいことをブラウザで検索してもさっぱりだったのが、AIに訊いたら一発で返答してくれる、という経験をしてしまってから、Google検索エンジンをほとんど使わなくなっている。検索結果から関連する情報を経験則で探し当てるよりも、ChatGPTの返答内容についてその真偽を検索エンジンで確認するという流れのほうが合理的で、なにより手っ取り早い。
たしかに、対話型AIも人間の作りだした情報の集合体であるとすれば、人知を収拾したり授受できる状態でないと機能しないのはわかる。でもそれは、旧来の検索エンジンも同じことなんだよな。
そこにお金が絡むと、その力で作為的あるいは故意的な情報が組み込まれがちになって、結果今の検索エンジンのような中身の薄い返答をするようになるんじゃないか。お金の流れが無いとサービスとしてやっていけないのもわかるけど、そういった俗な仕組みとは無縁の集合知であるからこそ有益なものとなる気がする。
 
ランニングの疲労回復は遅々として進まず、昼過ぎまで脱力状態のまま動けず、椅子にもたれかかっていた。
ただ、こうなっても別におかしなことではない。普段まったく運動しない身体をイジメ始めて、まだ二日だ。この結果は当然である。
しかし、スピーカー整備のパーツ買い出しのために横浜まで行かねばならず、そのためにはここからさらに鞭打って、駅までの道のりを歩かねばならない。休みたいけど、パーツがなければなにもできないので、行かざるを得ない。
 
左足の指の付け根が痛みだし、ヒョコヒョコと情けない歩きかたになりながらもようやく帰宅。
せっかく買い出しに行ったのに、体がついていかない。気力が尽きて、今日はこれ以上なにもできそうにない。
なんだかな。
 

3月4日(土) 運動

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