昨晩ビールなんて飲んだからか、両耳が詰まる感覚がある。
たまにはいいかと思ってロング缶一本飲んだけど、アルコールはもう控えたほうがいいのかもな。
「生きづらさ」をテーマにした歌や映画、ドラマは多くあるけど、ぎゅんぎゅん共感しながら見てて、最終的な解決の道が「恋愛」または「他者から愛されること」だったとき、突然手を離されたような気持ちになるので、なんかこう、もっと、一人でも幸せだと言ってくれる作品増えて、という気持ちがある。
— 横川良明🦈🦈🦈 (@fudge_2002) 2021年10月25日
はい。
昔からそうなのだけど、そのテの作品、端から見ないようにしている。「生きづらいわけじゃなかったんだね」と思ってしまうから。
自分の内面から湧いて出る生きづらさが他人によって寛解したと思うなら、それはそもそも生きることがつらかったわけではなく、別の何かが変質したのだ。
愛と幸福って繋がりがちだけど、自己と他者がそうであるように、別物だ。それが繋がっちゃうからドラマになるんだよな。
「生きづらさ」は、そのどちらの下地にもならないし、どちらにも乗っからないのかもしれない。
4時。
夜はひたすら起きていられるな。身体が重くて動きようがない昼間とは、まるで別人。何でこうも違うのか。
それとも、寝て起きた後の体調が決まって悪いから、それを無意識的に避けようとしているのかな。
それでも寝るけど。
10時半に起きる。
昨日買って半分食べた弁当の残りを朝食兼昼食とする。
コーヒーを淹れる。
エチオピア/イルガチェフ/コチャレ小規模農園。シティロースト&フルシティロースト。
焙煎度合いの異なる2つの豆を混ぜ合わせたもの。「ダブルレイヤー」なんていう、洒落た呼称が付されている。深煎りのほうの豆はフルシティローストと表記があるけど、実物はフレンチロースト程度の結構深いものだった。
深煎りのほうの豆は表面が油でテカテカで、触れるとベタつくほど。香り自体はいたって「モカ」。
淹れたお味としては、深煎り豆の風味がベースとなる。ベリー系の良質な甘みと、焙煎の苦味。そこに中煎り豆の葡萄のような酸味が加わる。ただの深煎りコーヒーだと思って口にすると、意外な酸味をもたらされて驚く感じ。
複雑な風味なのかと思っていたけど、豆自体が同一種だからかそこまでではない。それでもベースはイルガチェフなので、なんだかんだで美味しい。
この前アップロードした動画のサムネイルが気に入らなくて作り直すなど。
体調不良のときにどうにか形にしようとやっつけで作っても、結局後から張り替えることになるなら、何もしないでいるほうがいいな。
サラダにかけるボトル入りドレッシングが無くなりそうだから全部かけてしまえとボトルをひっくり返したら、意外と残量があってドバドバ出てしまい、「野菜のドレッシング漬け」になってしまった。
そのまま食べたら気持ち悪くなってきた。失敗。
記事ができた。