いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2021/04/27 (火) 孤独感

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「周りに人がいるほうが孤独を感じる」という話を誰かにすると、相手は首を傾げてしまう。「そばにいるのに独りである」のは不整合だと思うらしい。もっともである。話されたほうも困ってしまうし、あまり良い気分もしないだろう。
この心情は、他人に話しづらい。よく学校や職場で独りでいると、なんとか集団内に溶け込ませようとアクションを起こす人がいる。「孤立しているのはまずい」として気を回してくれるのだ。その気遣い自体はなかなかできない殊勝なことだと思うし、される側はありがたいことだと受け止める。孤立した人間がいると集団として動けない場面もあるし。
だけど、同時にそこで「独りでいること=苦しいこと」という概念を突き付けられて、残念な気持ちになってしまう。わざわざ離れているのは、複数人でいるほうがつらいから。自分無しで事が進むなら、それで何も問題ないから。そのほうが苦しまないから。この感覚を何らかの言葉にして発しても、周りからは失礼な奴だと思われるだけでどうにもならない。だから話さない。
結局これは一個人の感じ方の問題であって、それを現代社会のどこにでもある縮図に当てはめてもどうしようもない。そういうものだとして諦めて生きていくしかない。でも、動画(非公開につきリンク削除)内でそういう人が「一定数いると思う」と話をされていたのは、少なくとも通常人間が持ち得ない感覚ではないことがわかって、救われた気がした。
理解している人がいる。言葉にして発信できる人がいるんだ。それで今の生活の何か一つが解決したわけでもないけれど、知れてよかった。
 
昨日午後からずっとグッタリしている。深夜になって少し持ち直したけど、依然ボーっとしたまま。
何も手が付かない。こんなことをしている場合ではないのに。
 
昼。動けそうだったので、近所にあるけどまだ買い物したことがないスーパーに自転車で行ってみる。
今までは駅前のスーパーで食料品を買っていた。そこよりは安いけれど、スマホ決済に対応していないのが痛い。最近、お会計にスマホでの支払いに対応しているお店でしか買い物をしない。あの手軽さに慣れてしまうと、クレジットカードを取り出すことすら面倒になってくるのだ。というわけで、このお店は今後利用することはほぼ無いだろう。
 
今後利用するであろう郵便ポストやコンビニの場所を確認しながら帰宅。
 
夕方仕事をするか迷ったけど、不調が一向に回復しないため見送ることにした。
相変わらず荷解きができないでいる。
 
缶詰のガパオライスの素を開けて、玄米の上にまぶして食べてみる。
確かに美味しいけれど、カレーライスには敵わないかな。「何も口にしたくない。でもそれでも食べなければ」となったときに手を付けるとしたら、やっぱりカレーになる気がする。缶詰なら手間も同じだし。
 
悲しみが降りてくる。それを紛らわせるために無心でYouTubeの動画を観る。不摂生。
 
少しだけ元気になったので、荷解きを始める。
2時間半でやっとのこと段ボール箱5つを退治した。荷造りのときもそうだったけど、物体の空間移動に時間をかけ過ぎだ。しかもこれでようやく半分。
それでもコーヒーを淹れる環境を整えられた。23時半、8日ぶりのハンドドリップ。