いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2021/01/06 (水) 好きを仕事にしない

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今日も深夜に味噌汁をすする。
白湯でいい気もするのだけど、なんとなく味の付いたものを口にしたい。
これを飲んだら、寝よう。
 
寝る前に、詩ができる。
読書欲がまだあるけど、今日はさすがに仕事をしないといけないだろうか。
 
昼のウーバー配達。まったく鳴らない。
1時間半以上待機で受注は1件だけ。ヒートマップもなかなか発生しない。需要が極端に低いのだろうか。
ほかの配達員も見かけない。ちょっと様子がおかしい。12時前に切り上げて、夜間の配達を行ってみることにする。
 
読書を始めるも、あまり長く読み続けられない。
コーヒーを淹れる。
食事をしても、しばらくすると空腹感がやってくる。なんだろう。
 
いい加減、メカニカルキーボードの改造に着手したい。
でも、気が乗らない。昨年秋から12月まで、あれほど手間暇かけていたくせに。
 
どんな職業に就けばいいか、仕事をすればいいかわからないとき、「自分の好きなことや興味のあることを仕事にすればいい」という文句を目にしたりする。
これは、危ない。仕事をする理由が「好きだから」である場合、好きでなくなったらその仕事をすることができなくなるから。
それで問題ない人もいるだろう。興味が無くなったら次の仕事に就けばいい。そんな考え方もアリだし、それができるバイタリティを持てるのならばもはや才能だろうし、憧憬する。
ただ、自分にはそんなことはできない。心身共にパンクしてしまう。
その仕事を好きでいられる期間は、従事する人の性格や環境、タイミングなど、要素が多すぎて測りかねる。ずっと興味をもって続けられるなら、それほど幸せなこともなかなか無い。
しかし、仕事は残念ながら生活に直結している。大金持ちでもない限り、生死に係る事柄について自身の不安定で不確かな「感情」をベースにしてしまうのは、やっぱり危険だ。
仕事は、「自分がそれほど苦もなくできること」をすればいい。
専用の機器を使ってコーヒーを淹れることも、パソコンをパーツから組み立てたりすることも、キーボードの改造だって、好きでやっている。だからこれらは仕事にしない。いつ放り出してもいいように。

自分の「好き」なんて、あやふやなもんだ。
 
スーパーでカツ丼が安かったので購入。久々の豚ロース。
食べたら身体が温まるかと思ったら、逆に冷えてきた。なぜ。シャワーでも浴びよう。
温泉に行きたい。
 
シャワーを浴びて、白湯を用意したら、読書の続きをしよう。
今日は、そういう日らしい。