いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2024年2月 身辺雑記

 
 

日記

 

2月1日(木) したためたいこと

以前ほど、言葉が出てこなくなった。以前はもっと、頭に自然と言葉が浮かんできて、それを指先に送ってキーボードを叩いていた。今は、それができない。
 
そもそもある程度まとまった文章が浮かぶことがほとんどなく、それどころか、片言の単語すら脳を固く絞ってもなかなか滴り落ちてこようとしない。
あまり文字に残したいようなことがないのだろう。代り映えのない時間をずっと過ごしているし、生きることからも死ぬことからも逃げ続けている。同じことを考えるのも飽きてくる。相変わらず金欠で、復調する見込みもない。感動するものやことを見たり聞いたりするのも、どんどんしんどくなってゆく。なにも起こらないことが無上の喜びかのごとく、そればかりを望んで、見てくれだけは現にそうなっている。
 
お金が無くなってゆくことにもっと危機感を覚えなければならないんだけど、いつまで経ってもあまりそうはならないのはどうしてだろう。
自己管理ができていないといえばそれまでなんだけど、このまま向かう先は死で間違いないのに、それが生きることの延長ではなく、まったくの別次元にあるかのような川向こうの火事みたいな心境でいて、それがずっと変わらないのだ。もっと現実を見ないといけないんだけど、現実ってなんだろうという気もする。
見方を変えて、ダメなときはそれまで、と自分のなかで覚悟が決まったのだろうか。別にそのつもりもないんだけど。
 
諸々、単に脳の劣化が進んだだけなんだろうな。思考能力の退化。感性の老化。
 

2月2日(金) 脳内プレイヤー

最近、作業中にはBGMを切っていて、無音の状態でいることが多い。音楽をまったく聴かなくなったわけではなく、気が向いたら自分がストックしている音源やYouTubeから適当に流したりするのだけど、なにを聴いても耳障りに感じて止めてしまうことが著しく増え、それなら無音のほうがいいやと思うようになったのだった。
 
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