要するに「依存するな」ということなので、Twitterで延々と「いいね」するのを止める代わりに、スポーツをするなり、ゲームをするなり、誰かの家に転がりこんでくっちゃべり続けるなり、形が変わるだけだ。
何らかの疾患でない限り、何をしていても大概どこかで「このへんにしておくか」と覚める。それがたとえ、自分が有意義だと思って続けてきたことだとしてもだ。
いろんなSNSに手を出してリプライを送り続けることが、それが義務でも娯楽でも惰性だったとしても、ふと自然に我に返る時が来る。
アプリをとっかえひっかえするのが楽しいと思えるのなら続ければいいし、そうでないなら止めちゃえばいい。それでいいのではないか。
たぶん自分は、SNSの類のことをコミニュケーションツールと見做していないから、こう思うんだろうな。
本書では、代替行為として「人と会う」とか「物を作る」みたいなことが頻繁に例示されるけど、それはそもそも、そういった行為が楽しいと思える人だから代わりになり得るのであって、リアルな生活が苦しい人間にとっては、デジタルツール上の冷たい文字列を目で追ったりいつでも好きなタイミングで一時停止できる動画再生のほうがちょうどよかったりするのだ。
スマホによる情報共有は程々にして「アナログ礼賛」は、それができる立場からの一意見で、結局それが示すのは「私はデジタルにもアナログにも対応できるコミュニケーション強者です」というだけである。
後半に出てくる「余暇の活動計画を立てる」とか「シーズンごとの余暇活動プラン」なんて言葉が出てきたときも、「ああ、これ、自分とは人種が違うな」と感じた。
スケジューリングされた余暇は、余暇じゃない。
決まり事を作って、それに則って生活したほうが過ごしやすい人たち。たしかにそれなら、この本に書いてあることを実践するほうが有用だよな、と思う。
自分はそうじゃない。それだけだった。
デジタルな現代をアナログな現代人として生きるって、大変だな。
あと、帯にデカデカと「SNSで感想続々!」とあるのは、何かのツッコミ待ちなのか?
終。