いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2021/12/30 (木) 日記の必要性

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なんだか全然年末という感じがしないな。今年はいつにも増して。
 
8時過ぎに起床。
昨日のサイクリングの疲労が抜けていない。
 
悲しい。
目で見るものや頭で考えることすべて、ことごとく暗く、黒く澱んで、卑しい感じがする。
このまま潰えたい。何も成せていないけど、それでいい。生の脈動から解き放たれたい。
怠惰ここに極まれり。
 
もっとちゃんと社会の文脈で生きられる命であればまた違ったのだろうかと、不意に思うことがあるけど、そのたびに頭の中で存在しない自分をシミュレートしていって、「どうあがいても終末は一緒」と結論付けられる。
結論というか、終わりまでの道は初めから定まっていて、近道か遠回りかの違いだけである気がする。無理して誰かと付きあおうとも、楽して家に引き籠っていようとも、近所を散歩しようが遠出しようが、お金を稼いでもそれをサボっても、何をしても陰湿で苦しくて、歩けなくはない程度の足枷と目隠しを外せないまま獣道を歩くだけ。
社会性のある自分が想像できないのだ。
そして、人並み以上に踏ん張らないと人並みに生きていけないのに、それすらしようとしない。あえてピンチな状況に身を置こうとしているんじゃないかとさえ思う。
もういい加減、止めたい。
 
日記を毎日付けるのも、だんだんとつらくなってきた。
以前は何も考えず書けることを書いていたけど、最近は文章を考えること自体が億劫になっている。
それは結局、鬱屈した自分の内面を文字で吐露したところで、そこから何も発展せず、際限のない鬱蒼とした気分を再認識するだけして終わっていることがわかったからだろう。自分の日記だからとグダグダ書いたところで、プラスになることが何も無いのだった。
 
この日記、いったい誰のために、何のために書き続けているのだろう。
 
来年からは、昔のように思い立ったときだけ日記を付けるスタイルに戻そうかな。
少なくとも、書く分量は減るだろう。
 
午後からずっと、眩暈が治まらない。