いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2023年7月 身辺雑記

 

日記

 

7月2日(日) SNS

深夜、ツイッターがエラーを吐きまともに動かなくなった。
なんらかの理由により、一定数のツイートを表示すると閲覧制限が敷かれるようになったのだという。制限に引っ掛かると、自分自身の投稿すら見ることが適わない。その理由もイマイチよくわからない。
 
昼前には閲覧できるようになっているのを確認したけど、それまで問題なく動いていたTweetDeckのリスト表示が、夕方に突如停止。ホーム画面を眺めるのみとなる。
 
ツイッターに関しては、さすがにもういいかな、という感じになっている。
サービス側から「見るな」と言われたわけである。投稿数の制限ではなく閲覧数に制限を設けるのであれば、そう受け取れる。お得意様になってもらえるなら規制を緩めるから、不自由なく使いたければお金を払ってちょうだいね、ということだろう。
であれば、もう自分は利用者層から外れたとみるべきだろう。課金ユーザー以外はお呼びでないとハッキリ言われたら、首肯するよりほかない。
実用上からしても、運営側の気まぐれであるとき突然会話内容がいっさい見れなくなるサービスで、かつそれを是とするのであれば、たとえそれが一時的な措置だとしても、毎月課金してまで使いたいとは到底思えない。
 
なんというか、資本主義が極まってきたな。
インターネットの言論空間って、もともとはそれと距離を置いていたところにあったと思っていたのに、結局「お金を使う人がエライ」「お金を持っている人がエライ」から、ツイッターも例に漏れずそちらに与してしまった。
運営にお金が必要なのはわかるけど、"富の追求"とか"経済合理性"みたいな空気を漂わせている空間に居るのが苦手な自分としては困惑するばかりで、これでいよいよつまらなくなってしまうんだな、という印象を抱かざるを得ない。
 
一応ほかの似たようなSNSにも登録しているけれど、これまでのように進んで使う気にはなれずにいる。むしろ今回の件が契機となって、SNSひいてはインターネットとの付き合いかたを見直すことになるだろう。
そも、昨日までそうであったように、インターネットを使ってなにかを広めたいというようなことをする予定もないし、したいとも思わない。ましてや会話することも。

そのとおり。現実と向き合う時間を増やせと言われたと思えばいい。
 

7月4日(火) 娯楽としてのツイッター

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