いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2022年8月 身辺雑記

 

日記

 

8月2日(火) 服薬停止

午前は病院外来。
薬の服用を止めたい旨、医者に言った。ほぼ寝たきりの状態が続いて、睡眠のリズムをいつまで経っても整えられないからというのもあるけど、配達業務の再開を視野に入れているからだ。服薬を続けている限り、乗り物の運転ができない。
去年秋くらいからオーディオ機器の整備を本格的にはじめて、そろそろ1年。毎月ある程度の収入は得ていたものの、安定しない。先月も目標の数字に届かなかった。やはりコレ一本ではやっていけそうもないと感じていた。
主治医は渋い顔をしたけど、お金がなければ生きていけない世の中だ。このまま寝ていても治る気配は無いし、なによりジリ貧だ。仕方がない。
今は暑いので、配達を再開するにしても夕食時に絞ることになるだろう。そのために、徐々に体調を整えなければならない。
 
真っ直ぐ帰宅。昼飯に菓子パン二つ。あとは、日付が変わるまでひたすら寝ていた。
 

8月3日(水) 配達業務再始動

昼夜逆転は直っていない。だったら、配達業務は朝方にしてみようかと思い立った。
昨年末で止めていたから、7か月ぶりの自転車となる。それまでしていた駅前でまたグルグル走り回ってみることにした。
 
朝一でウーバーイーツと出前館の両稼働。どんなもんかと思っていたけど、それなりに注文は降りてくる。単価が低いので稼ぎとしては微妙だけど、夏の朝方は暑さがそこまで酷くはなく、消耗は少なめ。ゆっくりやるにはちょうどいいかもしれない。
とはいえ、10時を過ぎると気温が一気に上がってくる。サイクリングにも飽きてくるこの時間がリミットなのだろう。
朝か夕方のどちらかの稼働になりそう。
初動の感じとしては悪くない。しんどくならない程度に抑えながら、徐々に調子をつかんでいくか。
 
ただ、「走らないに越したことはないな」とも思う。
昼前に帰宅し、そのまま布団に倒れ込み、23時まで眠っていたことから、体力回復速度が以前より落ちていることが窺える。この生活リズムだと活動時間が大幅に制限され、継続したいスピーカー整備も深夜から早朝までに限られる。そうすると走って、寝て、整備して、の繰り返しになってしまう。それ以外御法度になるのは御免被りたい。贅沢言っていられないのはわかっているけど、それではじき潰れてしまう。
 
それに、走り終えたあとの虚無感だ。「なにが悲しくてこんなことしているのだろう」と。
お金は得た。だけど、それは自分の蓄えで得た自転車や水分を携えて、自分の体力を削りながら、見ず知らずの誰かに食物を運んだ対価だ。それで得たものは「疲労+お金」だ。何らかの手段で疲労をマイナスしなければならない。自分の場合、それは冷房の効いた空間でひたすら眠りこけること。それだって、家賃とか電気代という名のついた対価を支払ってできている事実だ。
なんでこんなに回りくどいことをしているのだろう。
ここで走ることを止めてしまえば、お金が入らない代わりに、自転車は要らないし、疲れることもない。疲れない分、本を読んだり、ゲームをしたり、食事も決まった時間に適量を摂れる。もちろんそれ以外のことをしていてもいい。交通事故もない。人と会わなくていいから、流行り病にかかる心配も少ない。
配達を止めると、ぱっと思いつくだけでもこれだけの安定を得ることができる。言い換えれば、お金を得るためにこれだけのことを犠牲にしている。
こんなことする必要、本当にあるのか?
生きるために必要なお金を得られないってだけで、また、それを得ようとするだけで、こんなにも虚無感を味わう必要はどこにあるんだ?
 
運動すると体調が整うなんて聞くけど、自分の場合は当てはまらない。疲労の蓄積とともに気落ちしてしまう。
身体が鈍っているなとか、気が向いたときに走るくらいが自分にはいい塩梅なのだろう。
お金を得ようと気張ると、途端に脱力してしまうし。
 
お金を稼ぐの、とことん向いていないんだな。
 
サイクリングを楽しめる人間だったら、また違ったのだろうか。
自転車にまたがるだけで性格が変わったり、何も考えなくなったり、ハイになったりすればいいのに。
ペダルを漕ぐだけで何もかも忘れられるような脳だったら、いつまでも走っていられただろうに。
 
自転車がしんどいなら、バイクでの稼働も視野に入れる必要がある。長距離移動できる電動スクーターがもう少し安くなってくれるといいのだけど。
 

8月5日(金) 非効率な生活

今日も朝方に配達業務。
昨日から妙に涼しく、空調要らずで過ごしている。
サイクリングも心地よい。汗をあまりかかないので、不快感が小さい。
 
食糧を買い込み、11時ごろ帰還。昼食とする。
走り回ったあとは、普段あまり食べない白米や肉類を口にしたくなる。身体を動かして減ったエネルギーを、早急に回収したくなるらしい。たいして安くもないのに、スーパーでお肉がデンと乗っかった弁当を手に取ってしまう。
そして、ペダルを漕ぎ続けた両脚を適当にマッサージしてから、CHILL OUTを1本飲んで脱力する。夜まで寝ているか、ボーっとしているかだ。なにもできない。
朝に配達業務をした場合は、大抵こんな感じに一日が終わることになるのだろう。
 
14時ごろ横になる。次に目が覚めたのが22時だった。
日中の半分をサイクリング、残りの半分を睡眠に充てている。以前にも増して、集中的に運動したあとは活動ができなくなっている。筋肉痛は無いけど、膝に少し痛みがある。
これが健全な生活といえるのか、疑問だ。でも、眠るのは削った体力の回復に必要だし、眠らないでいても何もできないから、これでいい気もする。「動いて食って寝る」のワンセットで、理に適っているといえばその通りか。
 
よくわからない。ただ、お金の稼ぎ方として、時間の使い方として、とても非効率であるのは間違いない。
それでも、主体的に稼げる貴重な収入源である。またしばらく続けることになるのだろう。
 
腹は減っているけど、何も食べたくない。
これだけ寝ても、まだ眠い。CHILL OUTをまた飲んで、再び寝てしまおうか。
 

8月9日(火) 離脱症状

2日に一度、朝から昼前にかけて配達業務をしている。身体の様子を見ながら、しばらくはこのペースで続けていくつもり。
 
服薬を止めてから一週間。離脱症状のひとつなのか、一昨日あたりから薄っすらと吐き気がある。食欲も減退していて、意識していないと食事をしないまま過ごしてしまう。
身体の変調はある程度は想定していた。どのくらい続くかわからないけど、幸い動けないほどではないので、あまり気にしないでおく。
 
走り終えたあとは、ほぼ何もできない。なにかする気力が湧かないし、無理に作業をしようとしてもすぐにダレてしまう。それなら、回復に充てたい。
 
疲れた。
疲れるな。やっぱり。
 

8月11日(木) やりたくない

睡眠時間が伸びた影響か、夢をよく見るようになった。それも、場面転換が頻繁に起こる忙しないものだ。
内容もほとんど覚えていないけど、あまり良い印象はない。夢というのはたいてい心苦しいものばかりで、見なくていいならそのほうがよいものばかりだから、その意味で平常運転ではある。
久々に始めた配達業務が睡眠の質にまで影響しているのだろうか。サイクリング、やっぱりするべきじゃないのかもな。
 
今日は配達業務は止めて、スピーカー整備に勤しんだ。日中に集中して作業をこなせたのはいつ以来だろうか。
やらなければいけないタスクがあるけど乗り気じゃないからと避けておもむろに部屋の掃除を始めたりする現象と同じで、したくないサイクリングの代わりに手を動かすほうに意識が向いたらしい。
 
やっぱり、したくないんだな。サイクリング。
身体が、そう言ってる。
 

8月13日(土) 台風を寝て過ごす

台風接近の影響か、昨日から眩暈と吐き気が酷い。台風の日はむしろ体調が好転することが多かったのに、今回は真逆である。
スピーカー整備ができないかと気力を高めようとしていたけど、ムリだった。というか、どうしようもないくらい不調である。
 
強い雨が朝から降り続いている。風はそこまで強くないようだけど、パタパタと雨粒が窓を叩く音がけっこう喧しい。
こんな天候なら、引き籠ってひたすらゲームに没頭する理由になるのに、如何せん体調が悪い。布団の上でグッタリしているしかない。
 
雨は夜まで降り続き、21時前くらいに収まった。
 

8月14日(日) 自然治癒か絶命か

朝。天気予報を見たら、西から雨雲が流れてきているのがわかった。台風は昨晩過ぎて、今日は晴れて暑くなるかなと思っていたけど、むしろ寒いくらいだ。
雲は広範囲みたいなので、しばらくは降り続くだろう。コンビニまで荷物を出しに行かなければならないので、なんとか降りだす前に済ませたい。
 
急いで荷物を梱包し、なんとか濡れずに送り出せた。コンビニから引き返す際にザッと降りだした。タイミング的にはギリギリだったらしい。
このまま濡れながら帰ってもいいけど、せっかく遠出したので近くのマクドナルドで朝マックとする。雨が落ち着くまでコーヒーでも飲んでいよう。
 
相変わらず体調はよくない。車酔いしたみたいな気持ちの悪さがずっとくすぶっている。それに加えて今日は、眼球の奥のほうに痛みもある。右の眼が完全に開ききっていない。
配達業務を続けていると感じることがある、「血の巡りの悪さ」から来る状態と似ている。最近配達を再開したから、間違いなくその影響がある。だけど、それだけじゃない気もする。
原因を考えることはしなくなった。よくわからないのだ。この不快感を失くすには、自然治癒を待つか命を絶つことくらいしか方法がない。考えるだけ無駄なのだ。
 
寝ていたいけど、それではお金が入らない。
できることから手をつけていくしかない。
 

8月17日(水) 髪を切る/耳に異常なし

夜中の2時過ぎ。目が覚めるとすぐ、髪を切りたくなった。
起き上がり、そのままハサミを持って洗面台の前へ行き、後ろ髪をおもむろにつかんで水平にざっくりと切り落とした。

2年と半年くらい前から伸ばし始め、たいした手入れもせず背中に垂れるがままにしていた。そのままでは邪魔なので、いつからか後頭部に団子を作るように結って過ごすようになった。
いわゆる「ロン毛」はどんなものなのかと思い伸ばしてみたものの、頭を洗うのに手間がかかるし、寝る際もそのまま寝転ぶと枕元でチクチクしてウザいことこの上なかったりと、良いことが全然無いことがわかったので、どこかのタイミングで短髪に戻すつもりだった。でも、美容院的な施設に向かうのが億劫で、ほったらかしにしていた。
 
なんで突然切り落とそうとなったのか、思い返してもわからない。なんのきっかけも前触れもなく、躊躇もなく突如「切ろう」となったのだ。寝ぼけていたわけではないところが、どことなく不気味な感じ。
 
とりあえず初めは後ろ髪だけ手を入れてみたけど、それだけではみっともなかったので、全体的にセルフカットすることになった。現在の自分の頭に、かつての面影はない。
散髪の技術は無いので、大まかに切ったのちに後日プロにお願いして整えてもらえばいいかと思っていたけど、誰に見せるでもないし、このままでもいいかもしれない。
 
午前中は、連日の体調不良に対処するため耳鼻科に向かう。
耳の聞こえ方と眩暈の検査をする。その結果を見る限り、指摘するような異常は無いという。
実のところ、そんな気はしていた。耳鼻科に来た目的は、疾患が無いことを確認することだったので、目論見通りといえる。主治医の問診でも受診の有無を問われた通り、異常が見られるとすれば脳神経内科にかかった場合だろう。
眩暈止めの薬を処方してもらい、退場。
 
神経内科に向かうかは保留としている。単純に、お金がない。眩暈が始まってから配達業務も止めている。
今のところ、薬で対症療法的に抑えられるならそれでいいやと思っている。もうしばらく様子見だ。
 

8月22日(月) 人的異物感

渋谷に出掛ける。スピーカーの整備に必要な材料を仕入れるためだ。
先々週から続いていた眩暈は、薬を飲み続けた影響かほぼ治まっている。ようやく徐々に動けるようになってきたのだ。
 
ここ最近、鉄道を使う移動は病院外来以外ではしないようにしている。スピーカーパーツも、必要となったら通販を利用する。わざわざ秋葉原まで出向くことはほとんど無くなった。
外出らしい外出をしなくなったためか、歩数的にはたいしたことないのにすぐ疲れてしまう。ちょっとでも運動をサボると、たちまち持久力が地に落ちてしまうようだ。
また、電車移動の耐性も減った。車内が空いていて座席に座れても、降りると身体がグッタリしている。高速移動する乗り物も、しばらく日常に組み込まれないでいるとしんどくなるらしい。
 
これからいろいろな場面で、こういうことが起こるのだろう。難儀だな。
 
都心は、相変わらず人が多い。
昔は、この人波の一部になることで、自分という個の存在が希薄になるのが無条件に心地よかったりもしたものだけど、最近はあまりそんな感じもない。目の前を過ぎ去る忙しない人や車や街並みが、妙に遠く感じる。液晶モニターの映像を観るがごとく立体感が無くなってノッペリしていて、自分の目の前に白いレースのカーテンがあるような感覚。そこに混じれない異物感というか。
東急ハンズ渋谷店の木工房に寄る」という目的があって、そこに向かうためただ前に進むだけ。ミッションを達成したら、昼飯も食べずにすぐに駅まで戻り、再び電車に乗って帰るだけ。
なにかもうちょっとあっただろう、という気がする。「ついてにあそこにも寄っておこう」とか「せっかくだしどこかで飯にしよう」とか「今は映画はなにをやってるのかな」とか。渋谷なんて、それらに意識を向けることのできる打ってつけの場所のはずだ。
だけど、そうはならない。周りにあるものすべてが色あせて見える。相対的に、今ここにいる自分が浮き彫りになっている。
 
たぶん、脳の老化の影響だろう。関心を寄せる機能が衰えて、またひとつ、つまらない人間になったということだ。
 
帰宅した後は、遅い昼食のあと、スピーカー整備を進めた。
 
体調的には明日あたりから配達業務を再開してもよさそうだけど、どうするか。
 

8月25日(木) つらさの質

4時前。部屋一面を覆う焦燥感と恐怖で寝付けない。
シャワーを浴びる。身体が勘違いして眠くなるかと思ったけど、その気配は無いので起きていることにする。
 
一日中パソコンの前に座って過ごすことが増えた。その状況から脱したいと焦るものの、すがる先が見つからなくて途方に暮れる。この繰り返し。
これなら、なにも考えず配達業務のサイクリングをしているほうが、運動になるしまだマシなのかもしれない。でも、それもしたくない。
自分の思考の外に出ない。思考がどんどん腐っていく。
 
現状、もう限界なのだ。なにか新しいことをしなくてはならない。それまで組み込まれることのなかった世界を迎え入れる必要がある。
同時に、今の生活様式から取り除くこともあるだろう。キャパシティは上限だ。諦めて、切り捨てて、空き容量を設けなければ受け入れることもできない。
 
つらい。
残されたのは、外部と接続することだけ。
独りで幾年も過ごした人生で理解したのは、独りで過ごすことはできてもそのまま生き長らえることはできず、感じる「つらさ」の質が昔と今で変化したことだった。人とつながりを維持するつらさが、自身の生活を維持するつらさに取って代わった。結局、どこでなにをしていようともつらいのだ。
 
もっと頭が良ければ。
社会の仕組みに従属できる人間ならば。
人と接することが苦にならない性格ならば。
 
買い出しのためちょっと遠出したときに見上げた夕焼けが綺麗だった。

 

8月29日(月) 服薬再開

朝から病院外来。
前日はスマホにアラームをセットしてから就寝。だけど、なかなか寝付けず仮眠状態のまま朝を迎え、アラームが鳴る前に起床した。緊張しているのかもしれない。
 
結局、服薬を再開することになった。
これでまた、配達業務はできなくなる。でも、この一週間なにをしていたかといえば、部屋にひきこもってYouTubeをひたすら垂れ流し、それを眺めていただけ。ここに「薬を飲む」という行為が追加されるだけだ。なにもしないのは一緒。
 
いろいろとどうでもよく思えてきた。
新しいことを始めなければ状況を打破できないのだろうけど、何かをしようとする気力はいっさい湧かない。八方塞がり。閉塞感が酷い。向かうべき先の見当もつかない。
新しいことどころか、部屋の掃除も、シャワーを浴びることもまったくせず、そのまま何日も経過している。身の回りのことすら碌にできていない。椅子に長時間座っているせいで、ちょっと身体を動かすだけで腰が痛くなってくる。
こんな状態で、自分にはいったいなにができるのか常に考えていることが、つらくなってしまった。考えれば考えるほど無力な自分が情けなくなって、思考を止めてしまう。
なにも解決しないまま時だけが過ぎ、身体はゆっくり老いて、心はしっかり萎んでゆく。現実から逃避する元気すら無くなり、頭をボンヤリさせるだけ。
 
早く死にたい。これ以上無闇に生の世界を彷徨っていたくない。
完全に動けなくなる前に死にたい。
 

8月31日(水) 最低記録更新

飲み始めた薬は、3年ほど前に服用していたものと同じだ。
飲むと睡眠時間が延び、常に眠気があるようなフワフワした感覚になる。こうなることは予想していたので驚きはしないけど、3年前もそうだっただろうか。もう覚えていない。
 
相変わらず、何もやる気がしない。ただ、薬の効能は出始めるまでしばらくかかるので、その時まで寝て過ごすしかないのだろう。
本を読むこともしなくなっている。意識が向かない。のぼせたような頭だと、文章を読み取ることも厳しい。
 
この8月は、本当に酷かった。
上旬は配達業務を再開してみたものの、すぐに体調不良。中旬以降は家に引き籠っていただけ。人間というか、生き物として機能していない。まさに屍のような状態が続いた。
ここから、さらに下るような気がする。薬は飲み続けるけど、湧き出る不安と悲しみは枯れることはないだろう。
 
健康を削りながら、先が暗いとわかっている道を進み続けるしかない。急斜面をジリジリとすり足で下っていくしかない。
 

コーヒー

 

コロンビア/エメラルドマウンテン

やや深めのハイロースト。
豆の状態で、香りは穏やか。際立つものは感じられない。挽いてみると酸っぱそうな芳香が漂う。
淹れたお味は、バランス系。チョコレート風のトロリとした甘さと、柑橘系の酸味がある。苦みは焙煎なりで、クセが少ない。後味にはカカオっぽい香ばしさとともに、華やかかつ複雑な明るい風味が広がる。
冷めても一定の風味を保っているのも良い。飲みやすいコーヒーだ。
 

書いたもの

 

オーディオ

ゲーム