いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

『出セイカツ記 衣食住という不安からの逃避行』を読み終える

『出セイカツ記 衣食住という不安からの逃避行』(著:ワクサカソウヘイ)を読み終える。
常日頃何気なく感じている「不安」。その出所はなんなのかを著者なりに突き詰めて、正体を暴き、なんとか回避しようとした様々な行為を、軽妙な文体で綴ったエッセイ集。
 
不安という名の、なぜか当たり前のように存在するのに正体不明という怪物から、逃げる。
著者は、生活苦、食、経済、衣服、労働、宿命、閉塞感、そして現実に対する不安から、「脱走」しようと試みる。
なんとか人並みに労働をし、それ相応の暮らしを営むことができているにもかかわらず、目に見えない敵に静かにボディーブローを喰らわされているような感覚が常に付きまとっているのである。
(p.11)
真正面からぶつかっていくのではなく、まずはいったん立ち止まって眺める。そこで改めて、不安がることの根源はなんなのか、どこにあるのかを確認する。そして、そこで発見した脱走ルートを進んでみる。
その脱走ルートは一見突拍子も無いようで、実はどれもそれほど現実離れしているものではないのが、変に重くなくて良い。なにかをきっかけにして生まれたアイディアたちを実行に移していく様は、どれもユニークで痛快だ。
 
読んでいくうちに、生活に対する構え方がいくつか自分と被ると思しきものがあって、親近感を覚えた。
食が細くて一日三食の習慣がつらいので、断食してみようとまではいかないけど今は一日二食で落ち着いている。
服を選んで着ることが苦行となってしまうので、「セルフ追いはぎ」まではやらないけど「中島メソッド」と概ね等しいものを取り入れて解決している。
「存在感」について思うことも、同じだ。
正体は、疲れる。明らかにすることは、ぐったりする。自身を正体不明にする時間がなければ、地上での正気は保てない。
(p.45)
もしかしたら、著者と自分は近しい人種なのかもしれない。
 
自分の喫緊の課題である労働に関しても、明朗な言葉を充ててくれている。
「自然」だ。
これまでなにが不自然だったのか、なにに無理があったのか、そうしたことを明らかにしながら、私たちは暮らしを再構築し、この世界にまた付き合っていく。
(p.188)
自分が一般的な勤め人が様にならないのは、結局のところその行為が自分にとって不自然だからだろう。登場する二人の友人のように、自己の行いが自分自身にとって違和感のないことならば、それが仕事であってもあまり苦にならない。
今やっているスピーカー整備が、まさにそれだ。完全に自己ペースで進められるというかけがえのないアドバンテージがあるのも事実だけど、改修計画を立てたりはんだごてを持ったりすることを続けていても、頭の中にモヤがかかったり、胸の内に黒いものが溜まっていくことはない。
要は、人それぞれ内面化したポリシーみたいなものがあって、それに則っていればとりあえずやっていける、ということなのだと思う。
それは、大きなヒントたり得る。あるいは自分も脱走できるかもしれない。
 
著者のような大胆不敵な行動力は持ち合わせていないけれど、とにかくもがいてみようとする意識と、自意識の変容を恐れず受け入れる姿勢は見習うべきである。
 
生活の選択肢、増やさないとな。
 
終。