いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/02/26 (水) ルーティンって何?

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朝、やっぱり寒いな。室温は18度あるけど、冷えを感じる。
自律神経がおかしいのだろうか。

悲しみが薄れてきた。

「ルーティン」ができない。
"お決まりの所作"とか"習慣"という意味でとらえている。「朝のルーティン」とかいう、アレだ。
確かに、ある物事に対して決まった動作というものはある。でも、自分の場合はまず、その動作を毎回当てはめるかどうか、当てはめられるのかどうかを判断することから始まる。
それが問題なさそうなら、決まった動作手順をひとつずつ意識的に行っていく。それは毎度虎の巻を頭の中に広げ、手順を確実に実行するようにしている。つまり、毎回初めて携わる感覚だ。
だって、"決まった所作"がその時々で合致するかどうかなんてわからないじゃない。
起き抜けに、昨夜寝る前に水筒に入れておいた白湯を飲む。朝起きたら白湯が飲みたくなっていることが多いからそうしている。でも実際は、日によっては飲まないこともある。あまり飲みたいと思わないか、そもそも白湯の存在を忘れている場合があるから。それは当然、その日その時の自分になってみないとわからない。ルーティンになっていない。
白湯を作ること自体もそうだ。作る時間も日によって違うし、お湯を作るやかんや水筒が置いてある場所も違う。浄水器を取り付けた蛇口から"浄水"が出るようになっているか、とか。前回作ったお湯がやかんの中に残っていたら捨てるのか使うのか、とか。
白湯を作るのは大抵毎日。でも、作ろうと思い立った先には理解と判断の連続が待っている。そんな感じ。とてもルーティンであるとは思えない。
何年も前、定職に就いていた頃、上司からルーティンワークができないことをやんわり咎められたことがある。当時は驚いたものだ。日々の業務のなかで、いったいどこにルーティンワークがあったのだろう。そんな言葉が喉から出てきそうになったけど、言えるはずもなく。
上司が挙げた一例として、朝一で行われていたミーティングがルーティンワークなのだそうだ。嘘でしょ?
聞く内容も話す内容も毎日違うし、その場にいるメンバーも日によって異なる。定時に始めるけど、他に優先する仕事があればそちらを済ませる。それがルーティンだって?
どうも、世間一般でいうそれと自分のそれは、異なっているようだ。
「判断するまでもなく自然と体が動く」というのは、言葉の上では理解できる。ただ、勘違いしてはいけないのは、世間の人々は判断していないのではなく、正解を無意識に選んでいるのだ。それで事足りるような"いい感じ"の所作を瞬時に思い描き、選び取れるのだ。何にも躓くこともなく。それを「決まっている」と呼んでいるだけなのだ。
自分にはレベルが高くてついていけない。人間組織でやっていくことはできないなと感じた。これが仕事を辞める理由として割と大きなウエイトを占めて、将来を悲観し、社会から次第に意識が離れていった。
マニュアルに沿って完結できること。いわば流れ作業。それが「ルーティン」だと思うのだけど、どうやら違うみたい。マニュアルが複雑すぎて頭が追いつかないのかな。
自転車漕いでいるくらいが丁度良いのかもしれない。

20時ちょうど、ウーバーイーツよりメールが届く。

2020年3月1日(日)をもって、ゴールドパートナープログラムは、内容改定のため一時休止となります。

Oh shit!
ゴールドパートナー目指してここまできたのに、突き放されてしまった。

Uber Eatsでは現在、パートナーの皆さまによりよい環境の元ご稼働いただきたく、新たなロイヤリティプログラムを計画しています。

こういうのって、現況より良くなることはないのが通例だしな。
もしかして、潮時か?

頭がふらふらする。