いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

「獄中で酔う 逮捕という非日常がもたらす意識変容と愉快な留置場生活」を読み終える

「獄中で酔う 逮捕という非日常がもたらす意識変容と愉快な留置場生活」(著:青井硝子)を読み終える。
なんというか、罪の意識が無いと、留置場だろうが裁判中だろうが、ここまでノビノビと過ごせるものなのだな、という感想しか出てこない。
もちろん著者本人が相当キレる人物だからというのもあるだろうけど、もしこれが自分だったら、罪悪感があろうがなかろうが頭グチャグチャで何も考えられないだろうし、ましてや「酔う」行為なんてもってのほか。文中にある「死にたくなる」パターンに該当するだろう。小市民で結構。
 
獄中という特殊な環境のレポでも、文体がおよそ飄々としすぎて、実在感というか、現実味が逆に薄まって、それこそ酔うような感覚になる。
 
とはいえ、人は、何らかに酔うことで生活できている面は、確かにあると思う。
今自分が安い賃貸アパートの一部屋に閉じこもっていられるのも、特に何かを意識したり我慢したりせず、単に過ごしやすいから居ると思っていても、実は「孤独に酔う」だったり「狭小空間に酔う」だったり、現実から隔離されたように感じているだけの「誤認に酔う」だったりするのかもしれない。
著者のように、自分の脳の知覚を鋭敏にとらえたり操作したりすることはできないから、よくわからない。でも「ルールに酔う」とか「正義に酔う」人たちなんかの言動は、SNSでもよく観測されるし、人生で実際に会った人たちも大抵こんな印象だったので、世の中というのはそういう酔っ払いたちの小集団がいくつもあるなかで構成されていると言ってもいいのかもしれない、などと思ってみるのだった。
 
この文章を綴っている段階では、結審はもう少し先みたいだけど、どういう結末になろうとも、著者は狂気を操りながら飄々と過ごしていくのだろう。
 
終。