いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2021/07/22 (木) みんな、それだけ/知って興味が失せる

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動画を投稿した。 


www.youtube.com

昨日あげた動画の続き。タイピングサウンドはキーキャップのプロファイルによって結構変わりますよ、という内容。
打鍵音の好みはやっぱりMAなんだけど、背が高い故普段使いすると手が疲れてしまうので使えない。デザインもカッコよくていいんだけど残念。
 
そういえば、昨日はTwitterをほとんど見ていないな。
 
起床。しばらくインプットをしていなかったから、今日は読書でもしていようか。
 
みんな大変だな。
そして、結構適当だな。
 
自分が抱え込めるのはどこまでなのか、見極めないといけないんだよな。
何かしていないと何もできなくなるぞ、と漠然と思いつつ、でも何もすることはなくて、する必要もないし、何ができるわけでもないんだよな。
このまま年老いて、死ぬだけだ。ただそれだけ。
その時が来るまでの時間潰し。死ぬために生き長らえる。何かをしても、何が変わるわけでもない。殻を突き破った先に、一回り大きな殻の内側にいることを知るだけ。
山に降った雨水が、汚れながら川を下って、海に流れ着き霧散する。遡ることは許されない。みんながそうであるように。
それだけ。
 
JBLスピーカーに関する書籍をいくつか購入していたので、最近チマチマ読んでいる。だけど、読み続けることができない。すぐに飽きてしまう。熱中して読めない。

morning-sneeze.hatenablog.com

なぜか。少し考えてみて、スピーカーから出てくる音には興味があるけど、それには何を使用しているとか、どんな仕組みかとか、他人の聴感のインプレッションなんかについてはどうでもいいのだということに気付いた。せいぜい製品の設計思想だとか、そこに至るまでの歴史くらいがわかれば満足してしまう。パソコンの音声は常時耳にするので出音には拘りがあっても、そこ止まり。これ自体、いわゆる"オーディオマニア"ではないのでおかしいことではないのかもしれないけれど、JBL、むしろオーディオ全体に対して、片足を突っ込んでもいない、中途半端ですらない、上っ面をちょっと舐めているだけの、傍から見れば失礼な存在だったんだなと自覚した。
書籍にあるような専門的な言葉を駆使して分析や評論できるような人間にはなれないし、こうなりたいとも思わないのだった。
 
また、読んでいくうちに熱が醒めてしまったのもある。
聴覚はそのうち否が応でも劣化して、特に高域の細やかな音はだんだんと聞こえなくなってくるという。おそらくそれは真実なのだろう。とすれば、スピーカーの性能を100%体感できなくなる。
それを踏まえて誌面を眺める。自分より明らかに年長のオジサマ方が、目を疑うほど高価で厳ついアンプとプレイヤーを用いて、広いリスニングルームにスピーカーとともに鎮座してあれこれあげつらっている様を見ていると、自然と心が萎えてくる。
オーディオって何なんだろう。
 
自分にとっての「心地良い音」は確かにある。でも、満足できるスピーカーを追求し、とっかえひっかえしてようやく見つけたものをきちんと評価できるかは別問題。要は、スピーカーの性格を好きになりたいのに、それが不可能になる未来が見えたことが虚無感を生んでいるのだ。そこに時間とお金を費やして何になる、との思いが大きくなりつつあるのだった。
 
こうして、自分の中の興味がひとつひとつペロンと剥が落ちていくのだろう。
 
配達業務に出遅れる。それでも、祝日の高需要とインセンティブに助けられて、時給換算ではそこそこな額となった。いつもこれくらいだといいのだけど。
 
今日もお腹が空かない。またチーズをかじることにする。