いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2021/07/01 (木) 雨音/JBLのすべて

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深夜、倦怠感は引き続きあるものの頭痛がようやく引いてきたので、昨日できなかった読書を進める。
 
この半年、月に一冊すら読み終えていない。配達業務をウーバーイーツだけ行っていた頃は、送迎の合間に電子書籍スマホで読んでいたけど、出前館を始めてからはそれが一切できない。出前館のドライバーアプリを常に開いて"受注早押しゲーム"に参加していないと、いつまで経ってもオファーを受けられないシステムだからだ。ウーバーの場合はその必要がないので、飯時のピーク時間帯を除けば、送迎を終えて次のオファーが来るまで落ち着いて別のことができる。Kindleアプリを立ち上げて、チマチマと読み進めることができたのだった。
 
しっかりとした雨が降りだした。そういえば、まだ梅雨だったな。
 
久々に詩ができる。

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真夜中に何やってるんだか。
さっさと寝よう。
 
足元が寒くて起床。
雨はまだ降っている。
 
昨日よりはマシになったけど、眩暈と怠さは未だ残っている。
喉の痛みも少しある。ただこれは、おそらく寝る直前に飲んだ養命酒が原因な気がする。

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摂取は極少量とはいえお酒なので、養命酒を飲んだ後は必ずコップ一杯分以上の水も飲むようにしている。だけど、痛み出す前日の晩は水の量がいつもの半分くらいだった。養命酒を飲む前にすでにコップ一杯分の量の水を飲んでいたから、少量しか口に含めなかったのだ。そしてそのまま眠った結果、翌日からヒリヒリと喉が痛み出した。
定量の水は、アルコールの分解を促すのと併せて、咽喉の洗浄のためにも必要だったのだろう。
 
雨音が好きというより、「雨宿り」が好きなのだ。
家でも車でも大きな樹の下でも、屋根のある空間で雨に濡れずに音だけ聴いていられるからよいのだ。これが「雨合羽を着てサイクリングしながら数時間」とかだったら、単なる忌々しいノイズに過ぎない。
 
雨が止んだタイミングでコンビニへ行き、ウーバーしながら帰る。たったこれだけのことでヘロヘロになる。
なんか、ダメだな。
もうダメなのかもしれない。
 
YouTubeを観続けて終わった。
 
JBLのすべて」(別冊ステレオサウンド)を読み終える。
原書は同名の1993年出版。絶版となり、Amazonで軽装本として発売されているものを手に入れた。雑誌の軽装本って初めて買ったけど、値段は全然安くなっていないんだな。
 
転居してからというもの、数年前に手放したUSBスピーカー「Pebbles」が舞い戻ってきたことを契機に、「Quantom Duo」、「Control 1」と続き、先日ついに「4312M」に手を出してしまったりと、どうにもJBLスピーカーが身近に感じる今日この頃。影響されて知識欲も出てきたので、雑ぱくに眺められそうなこの本を手に取ってみた。
 
この本は、雑誌「Stereo Sound」のJBLに関する記事を寄せ集めたもの、という認識でいる。もう30年近く前の書籍なので、昨今の潮流を汲み取った製品に関しては当然記述がない。しかし、最新のJBLを含めてまとめられている読み物が近年出版されていないことや、オークションサイトで活発に取引されているいわゆるヴィンテージのスピーカーを眺めているうちに古い製品にも興味が湧いたこともあり、手に入りやすそうなこの本をあえて読んでみることにしたのだった。
 
詳しくは知らないけれど、オーディオ評論家の方々がJBLについてあれこれ語っている。元が雑誌なので写真が多いのかなと思っていたけど、とにかく文章が多い。結構なボリュームだ。
床置きのどっしり構える大型のスピーカーを、それなりの空間に置いてこれまた巨大なアンプに繋いで稼働させている。そこでスピーカーに使われている回路がどうのとか、デザインにはこういう意図があるだとか、これとあれのユニットの組み合わせはこういう音がする、みたいなことを延々と語っている。ブックシェルフスピーカーがまだそこまで一般的ではなく、ポーダブルのポの字も出てこず、「ジャズ喫茶」という文言を頻繁に見かける。時代だな。
今や一大メーカーとしてよく知られた存在なのに、黎明期のデータについては不明な部分が多いという記述もある。ヒット製品が出る前にメーカー創立者がこの世を去ってしまったからだろうか。
 
JBLに限ったことではないのだろうけど、出音に関するレビューの表現や哲学が面白い。「スピーカーをほどよく引き締める音」とか「音離れがいい」など、自分では思いつかなかった言葉は今後真似して使いたくなる。
高級なパワーアンプについては、「朝9時頃に電源スイッチを入れ音を出し始め」て「昼食を終えた午後1時ごろから、やっと少し鳴りだしたかな、といった状態になるのは、もはや常識」だという。この頃はまだ、オーディオはどちらかといえば劇場や映画館などのハコに収めて鳴らす業務用途が主流で、コンシューマでもその兆候が抜け切れていない感じなのかな。今は中国製のデジタルアンプが数千円から買えてしまうけど、当時そんなものは存在しない。「いつでも安心して音楽が楽しめ」る環境は、数十万円するプリ+パワーアンプのセットを自分で配線してはじめて「オーディオをオーディオ・オーディオしないで楽し」めるレベルになったらしい。
これほど金持ちの道楽にふさわしい分野があるだろうか。別世界を覗く感覚で読み進めた。
 
JBLに関しては、随所で画期的だと評されているけど、とにかくデザイン面で推されているのが印象的。「センスが抜群にいい」らしい。
当時の渡来製品の造形なんて全然知らないけど、たしかに当時のフラグシップ「K2」シリーズは現代にあっても違和感がない佇まいだし、超ロングセラーの「Paragon」は知らなければスピーカーに見えない形をしているし、実際に手元にある「Control 1」なんて、現在も系譜を引き継いだリニューアルモデルが発売されている。そこには商業的な意図はあるにしろ、ある種の理念というか割り切りがあって、作る側も使う側も暗黙の了解みたいなもので繋がっていて、それが今日まで途切れず成り立っているような気がする。
今目の前でジャズをキラキラした上質な中高音で流している「4312M」だって、エンクロージャーの真正面に音質調整用のアッテネーターの無骨なツマミが堂々と二つ付いている。こんな意匠は他メーカーではあまり見ない。だけどこれが許されてしまう。それは、昔のJBLパワーアンプを開発していたとき、スピーカー組み込み型にしてスピーカーの特性をアンプ込みで調整できるようにしていた経緯があり、それがメーカーのこだわりとしてユーザー側にも受け入れられていたことの名残なのかなと、ヒストリーを読み進めて思った。
 
シンプルモダンなスッキリしたスマートさとは異なる、音響マシーンとして技術的にやりたかったことを一製品にスッキリ落とし込んだスマートさ。男の子が好きそうなちょっと無骨な見た目なのに、類を見ない繊細な音と深いパースを作り出すギャップ。それがJBLスピーカーの魅力なんだろうな。