いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2021/05/19 (水) 病気を治すと病気になる

f:id:morning-sneeze:20210519165022j:plain

本を読んでいたいけど、朝は用事があって寝坊できない。
シャワーを浴びて寝よう。
 
甲斐性無し
 
自分の生を自分で制御したいだけ
 
朝。まだ雨は降っていないようだけど、暗い空。
今日は延期し続けた病院外来に向かわなければならない。引っ越してから病院が遠くなったので、ちょっとした小旅行になる。
 
バスを乗り継いでようやく到着。遠いな。
病院はいつ来ても混雑している。受付後、控室で1時間待ち。予約の意味がほとんどない気がするけど、慣れたもの。
医者にはここ最近昼夜逆転しているけれど調子はそこまで悪くないこと、相変わらず深夜のほうが頭が冴えることを話す。すると、ちょっと不思議そうな顔をされた。たぶん、昼夜逆転しているのなら、それは調子が悪いということなのでは? と思ったのだろう。そうなのかもと思いつつスルーする。
たしかに疲労は蓄積しているけど、まったく動けないほどではない。だから現に病院まで来れているし、サイクリングもしている。これが本当にダメなときは、家で屍になっていることしかできないのだから。
 
医者は精神安定剤の服用を勧めたいようだけど、もうあまり薬に頼りたくない旨を告げて、引き続き様子見とした。薬の副作用の件もあるけど、今の自分の状態は病気の症状でないことを確信しているからだ。
薬剤でどうにかなるものではない。定期的に昼夜逆転したり、回転性の眩暈を伴う頭痛を起こしたり、半年に一度快楽物質が突拍子もなくドバドバ出てきたり、前触れもなく悲しみが降りてきたりするのも、すべて自分という個の特徴であり、意識がある限り実在するものとして受け入れざるを得ない資質なのだ。どうにもならない、仕方のないことについて抗い続けたって良いことがないことも知っている。
 
初めて適応障害鬱病を診断されてから、今がちょうど5年になる。5年となれば、もう一端の社会人の生活をなぞるのは諦めるしかないと悟れる。本来はそれをするには薬が必要だとなった時点で、とっとと見切りをつけて別の道を探さなくてはならなかった。それでもなんとか元の軌道に乗ろうとズルズル踏ん張って、結局ダメで、落ちぶれて、今がある。なにをしているかといえば、貯金を切り崩しながら死なないでいるだけ。これを世間では「病気」にカテゴライズされる。半ば公的に病気を治す手立ても用意されている。それを知っているから手の打ちようがない。病気を治せば、またそのうち病気になるのだから。
 
朝食を食べていないので、病院を後にしてそのまま早めの昼食とする。軽食のとれる喫茶店風のお店に入るのは、いったい何年ぶりだろう。
食後、100均や無印良品で部屋を整理するための小物を物色するため、歩いて駅前に向かう。
予報通り、雨が降りだした。沿道のアジサイを見ながらひた歩く。

f:id:morning-sneeze:20210519165502j:plain

f:id:morning-sneeze:20210519165048j:plain

 
買い物を済ませ、電車とバスを乗り継ぎ帰宅。慣れない公共交通機関の連続利用と混雑に辟易する。
長時間屋外にいたためか消耗が激しい。今日はもう何もしたくない。
 
クレジットカードの明細書が届く。支払金額が二ケタ万円となっており愕然とする。
引っ越しをしたからだ。大赤字である。なんで住む場所を移動しただけでこんなにお金がかかるのか。
もっと身軽になりたい。
 
カロリー不足だろうからと、夕食に消費期限切れの弁当とハンバーガーを一つ食べる。
大丈夫だろうと踏んで口にしたハンバーガーのソースが、なんだか妙に酸っぱい気がする。常温保存はマズかったか? 食べきったけど。
 
疲れた。夕方眠いのを我慢してなんとか起きていたけど、気持ち悪くなってくるだけだ。
早めに寝よう。
 
日記を書く分量が長くなっている。体調不良だとその傾向がある。
昼間は「体調が良い」なんて言っちゃったけど、やっぱりダメなのかもしれない。