いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2021/01/20 (水) 医者/言葉が飛び交った日

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産業医は、会社側の人間だからね。頼らず、あしらう。
 
なかなか寝付けない。
横になりながら、頭の中に言葉が一挙に浮かび上がってくるのを感じる。
普段あまり言語化できないような感情の機微が、なぜだか一気に整理されていく気がした。
手元にパソコンやスマホがあれば、それらをすぐにでも書き起こすのだろうけど、生憎目を閉じて寝ようとしている状況。それもできない。
なかなか起こらない状況。なんだかもったいないなと思いながら一時間。ようやく眠る。
 
朝から病院に向かう。
 
まれに、使う言語は日本語だけど言葉が通じず会話が成立しない、不思議な人間と会う。
病院の受付の中年女性が、それ。半年くらい前から見かけるようになった。
出くわすたびに考えてしまう。この人はどうやって生きてきたのだろう。と。
 
医者にはもう何も話すことはない。いつもと変わらぬ内容の、定例報告だ。
いつものように、一定時期に調子が落ち込むことを話すと、
「こんな時期だからね」
「こんな時期というのもあるかもね」
という。数度聞いた。序詞か何かなのかな。
その"こんな時期"であるほうが、そうでないときよりむしろ過ごしやすいのだ。もちろん、その事実は伝えない。話をややこしくしたくない。
薬を飲むために仕事を変えてみてはどうかと提案される。「気分を良くする」系のお薬は、服用すると車の運転ができないからだ。
効くかどうかも疑わしい薬のために、仕事を変える?
なんでそんなことが口にできるのだろう。別のお仕事を見つけてきてくれるのだろうか。
この外来だって、今の仕事でお金を得られているからできるのに。
医者がそのような提案をすることができるのは、おそらく過去に実行した患者がいたからだ。でも、まあ、その選択をするのは、複数のお仕事に携わっている人か、何でもできる人なんだろうな。
先の受付との会話でイライラしていたのもあって、途中からどうでもよくなってきた。さっさとここを出たい。
「もう、これでやっていくしかないと思っているので」
 
鬱であることと生きていくことは、別なのよ。
鬱だろうが何だろうが生きられるなら、それでいいのよ。
 
病院を出る。時間があるので、ウーバー配達を始める。
ピーク時間帯まではほぼ鳴らない。昼頃になるとヒートマップが広域に敷かれたけど、短時間だった。
体調が良ければ、夜もやろう。
 
病院での会話のほか、道を尋ねられたり、ほかの配達員から声をかけられたりして、今日はやけに人と話す機会が多かった。こういう日もある。
振り返ってみると、なんとなく上から目線の物言いになっていた。気をつけなければ。
 
自作パソコンの制作に必要なパーツはすべて揃った。だけど、仕事を終えて夕飯を食べたら何もしたくなくなった。
明日にしよう。

自転車を転がし続けて疲れた。瞼が重い。
22時半。まだ少し早いけれど、シャワーを浴びて、寝る準備をしよう。

頑張った。
頑張った。

白湯、もう少し飲もうか。温めで。