いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

2021/01/01 (金) 愚か者

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ゲームをしながら年越し。
仕事をしないで家に閉じこもっているなら、本来は読書するなりして知識を取り込む時間に充てるのが賢明なのだろうけど、もう遅い。
人生を確実に堕落させる方向に動いている。ただ消費するだけ。それでいいはずがない。そんなことをしていていい人間であるわけない。
 
馬鹿だな。愚かだ。
抜け出すには、勉学しかないのに。
 
何やっているのだろう。
自分のために誰かを傷つけ、拒み続ける。気にかけて、声をかけてくれる人を無視する。
これは、自分自身のためにやっていること。煩雑になるのを避けて実務を優先するため、生活を向上させるためにやっていること。
でも、やるせない。こんなことでしか前に進めない、進もうとしない、進むと信じてやまないのが度し難い。
相手は「誰かを心配すること」自体が生きがいになっているのだ。そうせずにはいられない。心配することで、対象に己の存在を示そうとする。自己中心的で、一方的で、対象の気持ちなどお構いなし。迷惑千万である。
それに対して毎度、「つらい。でも、これを止めさせるように言えば相手がつらくなるだろう。だからといって甘んじてしまっては、ずっとこの状態が続いてしまう。それなら、言うしかない」みたいな判断をしがち。別の解法を知らない。中道がない。自己中心的なのは一緒なのだった。
これでは誰も幸せにならない。目の前には暗闇しかない。それを認識しているのに、歩みを止めようとしない。
自省をすればするほど、結局この世に生まれついてしまったことを後悔することになって、どうしようもなくなってしまう。この帰結は、自分の中で矛盾が無くて、真実で、裏道が存在しない。
これを愚かと呼ばず何と呼ぶのか。
何か、取り返しのつかないことが起きない限り、このままでいるつもりなのだろう。
これを馬鹿と呼ばず何と呼ぶのか。
 
昨年は、自転車を漕ぎ続けた。なんてことはない。生活費のためだ。
疲れた、疲れた、と漏らしながら、東京23区と横浜みなとみらいを走り回った。もう、それでいいと思っている。それしかできないから。いいわけないのに。
そんなことをしながら、結局生き長らえてしまった。
生活様式が一変した」「価値観が変わった年だった」なんて話もあるけど、実際には何ら変わっていない。むしろ、例年より過ごしやすかったりしたので、自身の価値観に世の中が近づいたのではないか。
これがずっと続けばいいのに、と秘かに願っていても、そうは問屋が卸さないだろう。
 
どこまで行くのだろう。
もういいじゃないか。この辺で。
 
愚の骨頂。本当に馬鹿だ。
 
8時過ぎに起きる。
しばらくSNSをチェックする。いつもと変わらない、朝の所作。
 
コーヒーを淹れる。
食事はパンのみ。
 
昼過ぎまでゲームをする。その後、スピッツのオンラインコンテンツを眺めていたら、陽が落ちていた。
 
今日2杯目のコーヒーを淹れて飲んでいたら、ふと悲しみが下りてくる。
新年早々これである。本当に、時と場合関係なく訪れてくれる。できることは何もないので、通り過ぎるのを待つ。
 
今年は、ウーバーイーツ以外の収入源をどうにかして見つけなければならない。
自分自身から生まれるものは何もない。虚構でも幻でも。埃でも霞でも。身体が壊れないうちに何とかしなければならない。
 
早く死にたい。死なせてほしい。
 
悲しい。悲しい