いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/10/20 (火) みなとみらいで鬱積

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疲れてなにもできなかった。
早く寝よう。

ここ数日、やたらお腹が空く。

起き抜けから喉が痛い。
部屋の湿度は高めのはずなんだけど。
ついでにお腹もユルイ。腸が働いていないのか。
疲労も抜けていない。腕に少し力を込めるだけで、筋肉が細かく震える。

なにもする気にならない。
午前中はなにをしていたか覚えていない。なにもしていないんだろう。

午後は、みなとみらいの横浜赤レンガ倉庫に出向く。
どこかに出掛けるしかないと思った。本当は仕事以外でどこにも出歩きたくなかったけど、とにかく気分転換しなきゃと水筒に入れたコーヒーを携えてバスに乗った。

現地。やや涼しいけど、過ごしやすい気候。

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でも、打開できなかった。
ボーっとするのは変わりない。
岸壁を歩いても、倉庫内の雑貨屋を冷やかしても、特段の感動はない。何か込み上げてくるものもない。

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海辺にいるのに、潮の香りがしない。ベンチに腰掛けても、ソワソワして座っていられない。目の前にある様々なものに現実味がない。
どこにいたとしても、悲しみは変わらず残り続ける。

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フラフラ歩きまわっただけで、結局ここでもなにもせず、ワールドポーターズサイゼリヤでグラスワインを引っ掛けて帰路についた。
気力が回復するでもなく、ただお金と時間と体力を消耗しただけ。本当ならこんなことをしていてよいはずがない。

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この悲しみの根源は何なのだろう。どこから来るだろう。
自分自身が情けないから、というのはある。そこから抜け出す術がないことに絶望するも、自分の知らない道がどこかにあって、それを見つけられることを諦めていない。
完全に諦めたらどうなるのだろう。楽になるのだろうか。たぶん、覚悟ができていない。それは即ち死だから。
無限に湧き出る「悲しみ」を、何かに使えないだろうか。なにも生み出せない自分が唯一苦もなく生み出せるのが、この感情だ。これに税金をかけてもいいから、資産にならないだろうか。
「自信」とは、どういうことを指すのだろう。
存在を肯定的に捉えることなのだろうか。そうだとして、そんなことが可能なのだろうか。少なくとも肯定できる存在だとは思えない。
遠からず死が見えるからつらいのだろうか。もしそうなら、何ら苦しみぬく必要なんてないはずだ。現実逃避すればいいのだから。そうではなくて、現状生きていて、生きていかなければならないことがつらいのだ。

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夕方。注文していた電子レンジが届く。
今日の夕飯からさっそく活用していく。

懲りずにまたキースイッチを注文してしまった。
カニカルキーボードの改造欲はもう少し続きそう。