いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/08/19 (水) 会話のシミュレーションがつらい

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8時間以上寝たことになっている。
それでも疲労は抜けない。昨日の朝と同じ感覚がある。
目覚まし時計代わりのスマホが枕元に無い。床に落ちていた。なぜ。

今日このまま仕事を始めても、回復から遠のくだけだ。身体を無理やり動かせば調子が整うだろうと期待していたけど、そんなことはなかった。
休もう。
勉強して、コーヒー飲んで、読書して、コーヒー飲んで、YouTube観て、コーヒー飲んで、昼寝して、コーヒーを飲もう。
そういえば、昨日はコーヒーをまったく淹れていなかったな。

分かってしまうんだ。気を遣ってくれていることに。
つまらない話をしているのは重々承知。それでも、合わせて耳を傾けてくれる。それが苦痛だった。同時に痛み入る気持ちもある。
だから、人と話さなくなった。会話をしなくなった。

それに、対話の正解を導き出すことに疲れてしまった。
人と会話をする際、相手の発言に対する最良の言葉を頭の中で常にシミュレートしている。
"感想"か"問いかけ"か"ボヤキ"か。それが良い意味なのか悪い意味なのか、中間なのか。実はセリフはブラフで、真の意図はどこにあって、それを汲み取る必要があるのか。汲み取った意図は正しいか。"返答"か"同意"か。曖昧な切り返しでも問題ないか。思い浮かんだ言葉は会話として使っても自然なものか。どんなトーンで発するのか。
そして、シミュレートした発言を実際にすることで相手はどんな反応をするのか。
それらはすべて自分の経験から判断される。当然瞬間的だ。頭を「対人間モード」にして、できる限りシミュレートする。
そして悲しいことに、その咄嗟の判断はベターでもなく、大抵不自然に終わる。
会話の後、しばらく間を置いてから再度シミュレートする。「あそこではこう答えられたはずだ」「次に同じような会話をすることになったらこうしよう」と、該当する可能性が極端に小さいであろう条件分岐のひとつとして加えられる。
どうしても修正できないのが、話題を膨らませなければならないのに別の話題に飛んでしまうこと。相手の発言の一部をトリガーとして自分が話しやすい話題に切り替えてしまう癖がある。会話の内容を吟味せず瞬発力に特化させて反応すると大抵こうなる。気をつけていてもついやってしまう。そのたびに後悔する。

小さなころからコミュニケーションに難があることは自認していた。そんな自分だからこそ、そうするしかないと自身を納得させてきた。
対話の正解は示されない。だから会話の後の反省会で最良の答えを見つけて記憶し、後日似たような会話に巻き込まれた際、瞬発力を高めつつベストと思える自然な選択を記憶の中から導き出す訓練をするしかない。非効率だけど仕方がない。とにかく引出しを増やしていくしかない。最近までそう思ってきた。
数は少ないけれど、その努力に助けられたときもあったのも事実だ。後でそれに気づいたときは、自分を褒めてやるようにもしていた。
でも、あるとき、それに際限がないことに気づいて絶望してしまった。いくつ歳を重ねてもブラッシュアップされない受け答え。これが一生続くのか。と。
それは、自分を受け入れるしかないと諦めたときだった。
いくら向上心を持ち続けて改善の努力をしても、人種の違いまでは埋められない。まず、それを望んでもどうにもならない。そこに気づかなければならなかった。
つらいのは止めようと思うようになった。つらかったんだ。

シミュレーションなんてせず自然体のまま相手と向かい合えば、間違いなく"変な人"として認識されるだろう。
そのカテゴリーに類する勇気がなかった。いずれにしても、傍から見れば変な人であることに変わりはないのに。
それでもシミュレートは止めないだろうな。

「人と話すのが楽しい」という人がいる。それが多数派であるとさえ感じる。
羨ましかった。そう思えるなら、自分の人生はまったく違うものになっていただろうから。
今までそうだったように、おそらくこの先も、その気持ちを理解できることはないのだろう。

こんな考え方をするようになったのは、世間の言う「病気」により強制的に勤め人を辞めたのが大きい。
人とのつながりが重要視され、会話が強制されることに誰も違和感を持たない環境から解放されたこと。
人とつながることでお給金を得ていた。今はお金は得られない代わりに誰かとつながることもない。
自分を売りに出した対価。そのお金は、端的に言えば自身の生活費だ。生活するためのお金を、生活を犠牲にして得る。常にマイナスしかない状態。でも、こういう仕組みなのだから仕方がない。
つらいまま生きるのか。解脱して死ぬのか。
悟りを開くつもりはない。諦めて後者に進むしかないというだけのこと。
つらいまま生きるメリット、無いんだもの。

とはいえ、アウトプットすることで頭の中を整理できることは知っていた。それをするには言語化しなくてはならない。今までそれをサボってきた。日記をつけたり詩を作ったりするのは、その引け目があるからだ。
テーマを決めずにつらつらと文章をつむぎ出すのは苦痛ではない。
楽しいわけではない。"苦痛でない"のだ。
コミュニケートのためではないし、独りでできる。だから続けられる。

結局今日も昼寝をしなかった。本当はするべきなのだろうけど、どうしてももったいない気がして意識を保ち続けてしまう。

呼吸が浅い。疲れている。
今日も早く寝るか。

note.com牛乳で抽出する方法は思いつかなかった。