さらに、負け組となり生涯独身となった男性には、社会の維持や持続のために協力するインセンティブがなくなる。
— YS@GPCR (@YS_GPCR) 2020年4月14日
あまり自分のことを負け組と感じたことはないけど、生涯独身なのは間違いない。だからだろうか、この感覚はよくわかる。
真っ先に思い浮かぶのは、納税のことだ。いくら考えても、納めた金額のいくらかでも自分の生活に安泰をもたらすものとは思えない。
納税は平等が原則らしいけど、生きている人間のほうが平等ではないのだから当たり前だ。医療くらいじゃないのかな。恩恵を受けられるのって。
お金は社会の是となるように分配されるのだろうから、社会不適合者に税金を使われたら適合者が黙っちゃいないだろうし。この感覚もわかる。
社会に適合できる人間だけが受け取れるインセンティブ。だから"そうじゃない"人間にとって、社会に協力することに何の意味も意義もない。これも当たり前だ。
合理的であるとされるルールに従うことができない一部の人間は、多勢を優先する社会においてインセンティブなんてあるはずがない。そもそもその人にとっては合理的ではないんだもの。ただそれだけのことだ。
「生活保護」とか「鬱病」なんかもそれに繋がる。いずれも「立派な"社会人"になるために手助けをしてあげましょう」という意が込められている。「だから就職するように努力してくださいね」「だから体調を整えて職場に復帰してくださいね」って。
適合者目線なのだ。"病気"とか"保護"とか。"負け組"もそう。
適合できない人だっているのにね。本来なら適不適は関係なくて、鬱だろうが金がなかろうが何をしていようが生きられる状態になるほうがいいのに。
動機付けなんていらないのよ。できる人たち側に寄せようとしたところで理不尽なだけで、当人は何も起きないどころか苦しいだけなのだから。
手を差し伸べられてもしがみつくことはできないのよ。そっちは地獄だから。
その手を叩き落としてなお、危険に足を踏み入れながら安全な空間を見つけてやり過ごさなければならないのよ。
洗濯槽の滅菌処置をする。
シャワーヘッドの浄水フィルターを交換する。
このフィルターは確か4か月使用可能なヤツだけど、最後に交換したのは半年以上前だった。最近肌がかゆいのはこれが原因じゃないのか?
眩暈はまだある。
明日は雨らしい。