いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/06/28 (日) カラス/「山奥ニート」

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朝から雨。
ウーバーから高額のインセンティブが提示されている。絶好の配達日和。

13時頃、パタッと降り止み日差しが漏れる。

カラスがやたら多い。ひとところに集まって何やら合唱している。

歌詞の中で「必ず明日は来る」なんてよく聞くけど、明日が来ることに悩んだり辟易したりするんじゃないのか。
みんな「明日、来そうにないな。困ったな」と思うのか。よくわからない。

もう陽が落ちているのにまだ騒がしいな。カラスたち。

『「山奥ニート」やってます。』(著:石井あらた)を読み終える。

「山奥ニート」やってます。

「山奥ニート」やってます。

 

山奥ニートについては前々から存在は知っていた。

常々思っている。
「家に居てもインターネットに向かい合うだけなんだから、別にわざわざ生活費のかかる都会にいる必要はないよな」
「インターネットさえ利用できれば、山奥でも無人島でも、どこに住んでも問題ない気がする」
著者は実際に行動に移して、何年も山奥生活を続けている。なかなか出来ないことだ。すごい。
"出来ない"というのは少し違うかもしれない。自分はいざ知らず、たぶん大抵の人はやるだけならできる。ただ、食事も娯楽に関しても、都会的ひいては現代的な環境で確保する方が生きやすいからしないだけだ。自分には出来ないと感じるのは、少なからず現代社会に浸れている証左なのかもしれない。
山奥ニートたちは、山奥の方が生活しやすいからそこに居るだけだという。

ただの日常だ。
だから目指す目標もない。
(「第5章 山奥ニートのこれから」 p.308 より)

あまり使われていないようだけれどエアコンもある。風呂もある。食材は現地調達もできれば、車を使って買い溜めることもできる。インターネットが使えるので、通販をはじめとするオンラインサービスも受けられる。でも住民にはニートの気質がベースにあるから、あるときは一日中部屋に引き籠っていたりもする。
要は、一般的なシェアハウスが山中にあるだけのことだ。
あれ? やっぱり都会に居る必要ないんじゃないの? と思わずにはいられない。
でも、山奥ニートを始めた経緯を読んでみると、この環境に巡り合えたこと自体が奇跡に近いことがわかる。著者が一から築き上げたものではない。偉大な先人がいて、ある程度の土台が出来上がっていた。そこには、「思想」があったように思う。スタートから上手く乗りこなせたのが大きかったのではないか。少なくとも、目標や野望も何も無しに常人が一から築き上げるのは、なかなか出来ることではないと感じる。

ニートとはいうものの、まったく働いていないわけではない。ただ、多くの人が思い浮かべる一般的な労働時間と比較すれば限りなく短時間だから働いていないのと一緒じゃないか、ということで「ニート」を自称しているのだそう。
でも働いているし、それならニートではないよな。畑もあるし。
かといって、じゃあ、どんなカテゴライズになるのかと問われると、しっくりくるものが思い当たらない。
「田舎暮らし」とも違う。当人たちは田舎暮らしがしたくて住んでいるわけではないらしいし。

私はここ、亜人種の村だなって思うんです。人間種に追いやられたエルフとかドワーフとか獣人とかが、山の中に逃げ込んで隠れて住んでいる。(略) 働きたくない人が集まっているんじゃなくて、人間種が嫌になった亜人種が集まっているだけなんじゃないかな。
(「第4章 山奥ニートたち」 p.224 より)

たしかに、「集まって暮らしている」なら"村"が近い気がする。
やっぱりニートじゃないな。隠れ里の住人か。この人たちがニートなら、世の中にニートは存在しないな。

血のつながった家族でもない。会社の社員寮でもない。隠れ里に住まう人たち。
里における暗黙のルールはいくつかあれど、明文化されたものは今のところないという。
それでもやっぱり、共同生活する以上は協力することを厭わない人でないとやっていけないな、と感じた。
ニートで過ごすことはできないのはわかっている。でもせっかく山奥で人がいない環境なのに、あえてシェアハウスはしたくないな、と思ってしまう。
独りがいいのだ。それ故、難しい。
隠れ里の住民たちのように現代技術を存分に活用するにしても、生活に必要なことはすべて自分一人で行うことになる。一人作業は望むところだけど、それが可能かどうかはわからない。なんせ、相手は物言わぬ自然そのものだからな。
やっぱりハードル高いのかな。
たとえ生きにくくても都会に居場所を見つけて、お金の力を使って現行のサービスを享受しつつ孤立できる環境を維持していくのが関の山か。

現代社会にある程度は溶け込める。でもそのうち辛くなって逃げざるを得なくなる。それでは隠れ里の住人のように雄大な自然の中で共生できるかというとそんな自信もない。チームプレイができない。まだソロのほうが動ける。
良く言えば器用貧乏。悪く言えばただの無能。
こんな人間が落ち着ける場所なんてあるのだろうか。
しんどいな。