いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/06/17 (水) 「死にたいのトリセツ」

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パンにおにぎりに焼きそば。
昨日は炭水化物しか摂っていないからか、朝から何となく気だるい。
「疲れているからたくさん食べなきゃ」なんて思って普段より多めに胃に放り込んだ。でもこれなら何もしないでいたほうがマシだったかもしれない。

今日はウーバー配達をする予定だったけど、翌日から天気が下り坂らしいことを知り、やめる。
天気予報、当たるだろうか。

休日なので、朝からコーヒーを淹れる。
コスタリカ/サンタテレサ2000。ティピカ種。やや深めの中煎り。
豆の状態でも華やかな香り。ほかのティピカと比べて若干抑えめの芳香かも。
山地の農園でも標高の高いところで育った豆は、香りが控えめな気がする。
淹れたお味は、まろやかな酸味のバランス。ほぼオレンジジュースなんじゃないかと思わせる柑橘系の酸味の後、ワインを飲んでいるかのような芳醇なテイストに変化。
冷めるとまたオレンジ風味が戻ってくるのが面白い。
舌触りが良く終始明るい風味。嫌味を感じずにスルスル飲める。美味い。
いろいろとコーヒーを飲み続けているけど、どうしてもティピカに行きついてしまう。生産性が悪くて希少になっているなんて話も聞くけれど、無くならないでほしい。

罰ゲームが嫌い。
するのも、させるのも、しているのを見るのも。

「死にたいのトリセツ」をやってみる。

shinitori.netその結果。

死にたいのトリセツ

死にたいのトリセツ

ハードモードって。
うーん。違うんだよな。
「普通の人間になりたい」とは思わない。普通の人間って何さ、となる。
「夢を叶えたい」とも思わない。夢自体が特に無い。
「何かに求められる理想の子」にいたっては、もう何だかよくわからない。「元気がない」のは間違いないけど。
そういう"行き届いているサービスに乗っかれない"みたいな悩みに突っ掛かっているんじゃない。そうじゃなくて。
「何しても疲れるし、生き続けたくないな」とか「たぶん近いうちに死ぬな。だったら今すぐ死にたい」とか「生を善とする世の中は生きにくすぎるな」とか「"死が救い"という文言に相対する術がない」とか。
内から発する欲のひとつなんだよな。この認識も正しいのかわからないけど。
何かを成し遂げられないから死にたいんじゃない。何を達成しても「死」への渇望は無くならず存在する。
生きる上での喫緊の課題は、お金を上手く稼げなくて困っていること。診断の結果、置かれている環境は良いと出た。

死にたいのトリセツ

でも、これは金のおかげだ。お金があるから住まいを得られている。ストレスをお金が肩代わりしているだけだ。だからお金が無くなればさらに死に近づくのだろう。でも、定期的にお給金が支払われる勤め人だった頃も「死にたい」と常々思っていた。変わらないのだ。
ひたすら自転車を漕いでいても、コーヒーを淹れていても、音楽ライブ会場の真っただ中でも、楽しみだったゲームをしている最中でも、とにかく何をしていても所構わず「死にたい」は唐突にやってくる。降りてくる。
自分の場合はたぶん、死にたい原因が外部には無い。内部にある。
それを取り除けるのか。取り除いていいものなのか。
あるいは変質できるのか。不変ならどう取り扱えばいいのか。
自身で解決するしかないのだろうけど、解決しないで生きられるならそれに越したことはない。そもそも正体不明だしな。

たとえば自殺をするとすれば、どういった理由でするのだろう。
興味はあるけど、知り得ないのが悔しいところ。
いや、別に興味もないか。どうでもいい。

人生ハードモードに関しては、敬愛するこの方の言葉に集約される。

"結局、社会というものは、その時代の平均的な暮らしをする人間にとって最も効率がいいように作られているものだ。やはり何がしかの職を得て、お金を得て、自分のわからないことに関しては専門家に任せるのが一番効率がいいように、社会のシステムができている。
人間的な性格や特性、能力や思考傾向に関しても、まったく同じことが言える。
たとえばごく普通の人間関係の構築といったことができない人は「社会不適合者」と呼ばれ、生きにくく損しがちな世の中である。しかし、それは文字通り現行の社会に不適合なだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。平均的な人聞が生きやすいように社会というものはできているのだから、僕みたいな自他共に認める社会不適合者が損をするのは当たり前である。ただそれだけのことである。"

(「僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って」 著:高村友也 p.149 一部抜粋)

 

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