いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/04/23 (木) アーティスト症候群

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Folding@homeは、今なお継続している。

foldingathome.orgそれに伴って電気代がどうなっているのか。結構怖い。

起き抜けに二日酔いのような気だるさがのしかかる。一滴も飲んでいないのに。
身体を起こすのに時間がかかる。貧弱なのに運動しすぎたせいで、限界を迎えているのだろう。

ウーバー配達に出掛ける。
注文数が少ないのか、全然鳴らない。もう少し遅めに始めても良かったかもしれない。
キャンセル品のマクドナルドを昼飯にする。
久々に食べたけど、マクドナルドのハンバーガーってこんなに脂っこかったっけ。瞬時に口の周りがギトギトになる。氷が溶けて薄くなったコーラで流し込む。チキンナゲットくらいがちょうどいいな。

そうなんだよな。

「アーティスト症候群 アートと職人、クリエイターと芸能人」(著:大野左紀子)を読み終える。

クリエイターになりたい。
何かを生み出したい。そういう人々のことを何と呼ぶかといえば"クリエイター"がしっくりくる。だからクリエイターになりたいと。
でも、この本を読んでみて少し違ったのかな、と思い始めた。
「結局のところアーティストって何さ?」「どうしてアーティストになりたい人がいるの?」が主題となっていて、近代までの成り立ちや現代におけるアーティスト文化の変容、有名人や学生、そして自身のアーティスト感をサクサク料理するようにしたためている。
そのなかで、アーティストとクリエイターの違いについて触れている。
クリエイターは、他者からの要求を受けてそれを満たすものを作る。対してアーティストは、作者が他者や世の中に訴えたいことを表現するために作るのだという。
もしそうならば、自分はそのどちらでもない。「誰かのため」という前提で作りたくないし、世に知らしめたいような事柄も欲求もない。生み出すのはおそらく、自分のためだ。
とすれば、自分は一体何者になりたいのか。
ここでもう一つ"アルチザン"という単語が出てくる。"職人"と訳される。
職人も、"作る人"のイメージがある。だけど、

職人は昔から匿名に甘んじる存在であり、アーティストはその固有名が重要である。職人は技術を重んじ、アーティストはオリジナリティを追求する。職人はその技術を売って生計を立てるが、アーティストは作品だけで食べられるとは限らない。職人は親子代々受け継がれ、師匠から弟子へと技術は伝搬されていくが、アーティストは一代限りである。職人の制作物は生活用品であり、アーティストの制作物は「用」とは無縁の芸術と呼ばれる。
(p.142)

やっぱりこれでもない。技術を重んじそれを元手に稼ぐというのはわかるけど、誰かに継ぎたいわけではない。生活用品を作りたいわけでもない。肩書きが欲しいわけでもないし、覚悟もない。
よくわからなくなってしまった。
実のところ、何も作りたくないのかもしれない。何かを生み出す人間でありたい、といういたって漠然としたモノが湧き上がっているだけなのかもしれない。
アーティストでもクリエイターでもアルチザンでもない者が、生み出した何か。それって、完成させたところでこの世に残したことになるのかな。意味ないんじゃないの?
わからない。だけど、自己満足の域を出ないことは確実だ。

自転車漕いだだけの日だった。
疲れたな。
早く寝よう。
明日は新型iPhoneSEの発売日だけど、届くのだろうか。予約した後、何の音沙汰もないんだよな。
新規契約するSIMカードを吟味していたら、いつの間にか深夜。

「あなたは私にとって大切な人だから」。
だから、私を縛ろうとしているのですか?
私は、あなたの物だったのですか。
申し訳ないけど、あなたの思い通りになるつもりはありません。
うんざりです。
日に3回の生存報告も、今すぐ止めたいのに。
止めると血眼になって私を探し出すでしょう? だから続けているのです。
大事にしないためです。これに関してだけは、自分で自分を褒めてあげたい。よく耐えているよ。
何のために私が独りでいるのか、考えたこともないのでしょうね。
それか、考えてもわからないのでしょうね。さんざ言ったのにね。
何もできないのだから、口を噤んでいてほしいのです。いい加減。

完全な透明人間になりたい。