いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2020/01/22 (水) 所有したくない

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"自分のものではない安心感"っていうの、ある気がする。
自分の所有物を増やしたくない。
持ち物は少ないに越したことはない。
自分のものは自分で管理しなければならないからだ。その管理のためにしなければならないことや気にかけることが増えるのが嫌なのだ。
いわゆるミニマリストだとは思っていない。程遠いし。たとえ所有するものが多くてもそれはそれで便利だし、やっていけるだろう。ただただ、面倒くさいというだけだ。
物に限らず、人も同じ。人間関係を維持するために払う時間、金、労力が惜しい。だったら、初めから無いほうがいい。人一人が生きていくのに人間関係が必要なの、欠陥だと思うんだけどな。本当に。
家は持ち家がいいか賃貸がいいのかという、昔からある問題についても、前述に照らすと賃貸のほうがいいということになる。学生を卒業し働きだした頃によく耳にしたのは、「同じお金を払うのだったらいつか自分の物になる持ち家のほうがいい」という意見。聞いた当時は「まあ、そうだよな」くらいの認識だった。けれど、今は違う。金を払って管理を誰かに任せてしまえばその方が楽だ、という考え方をする。結局金は必要だ、ということでもあるのだけど。
「人さまから借りたものは、適当に使えない」「借り物は丁寧に扱わなければならない」というのもある。ただ、これは杞憂だ。借り物だろうと所有物だろうと、そういうことを意識する人はどんなものに対してもすべからく丁寧だし、乱暴な人は誰のものであろうと乱暴に扱う。個人差があるだけで、物に掛ける労力は大抵一定という認識だ。
金は、借り物のような感覚がある。自分の金だけど自分の物ではない、というような。
金自身が何かをしてくれるわけではないが、それ自体が社会であり、みんなが欲しがり、いろんなものと交換できる。手放すことで真価を発揮する。今はたまたま自分の手元にあるが、本来は別の誰かの財布に収まっているもの。そんな感覚だ。だから、金は大量に持っていても煩わしくないのだろう。
"自分のものではない"よりむしろ"自分のものにはならない"というべきか。

起き抜けにつまらないことが頭に浮かんでしまった。
結局、話は金に収斂する。

昨日までの数日は暖かかったが、今日からしばらくはまた冷えるらしい。

スマホのケースを新調する。
ウーバーの配達で使っていると、薄っぺらいケースはすぐ割れてしまう。なのでポリカーボネイト製にしてみた。

死にたい

久々にビールを飲む。
ツマミは鶏ささみのから揚げと漬物。
たまにはいいものだ。