閉じた世界。
誰かと話せば、落ち着くのか。
今までそういう経験なかったんだよな。
むしろ、話したことを後悔するばっかりだった。
話すことでその先が見えたっていうためしがない。
だから避けてるんだろうな。メリットを感じられなかったから。
誰かと話をすることで心の内を変調させる、化学変化させるのが人として一般的なんだろう。
でも、そうではない人もいるんじゃないか。
やっぱりダメなのかな。こういうのは。
少なくとも生産的ではない。
自分の中をぐるぐる回るだけ。それで答えが出ればいいけど。
友人を作るって、どうするんだっけ。
あれ。どうするんだろう。
だいたい、友人ってなんだ? どういう人のことを指すんだ? 作るってなんだ?
絶望感が降りてくる。悲しくなる。
カフェインレスコーヒーって、おいしいのかな。
最近コーヒーを飲み過ぎな気がする。一日1リットル近く飲んでる計算だ。
いきなりカフェインレスの豆を買うのも気が引ける。スタバあたりで試しに飲んでみるか。
YouTubeでねこかます氏の動画を観る。
このところ、猫たちの最期を迎える動画が多い。
死の直前は、何も食べなくなるんだな。
生きることが尊いとは思わない。死ぬことも同様。
でも、この猫たちはここで死ねてよかった、と思う。
人間が大好きな猫。人間があやしたり、あやされたり。最期まで。
ねこかます氏が保護しなければ、この猫たちは一人で死を迎えていた。そういう道もあった。
でも、保護されて人間の手で病気の緩和ケアを受けることができた。
人と触れ合うほうが、結果生きやすかった。
やっぱり、人なのか。
ゴミ収集車が流しているメロディの空耳が聞こえる。真夜中。
食べ物を作って売れば、お金もらえるのかな。
相手が思っている正解を言わないと怒られる恐怖感って、みんな持ち合わせているわけではないのか。
人間性。
???
人っぽさ、ということ? 規模が大きすぎてわからない。
ひとりで、完成したかった。完成した人になりたかった。
出来ることはなんでも出来ると思っていた。それは、我慢することも含まれる。それが、言ってみれば完璧な人だと思っていた。
しかし、出来なかった。完璧ではなくなった。
もう取り戻せない。完璧だった自分は存在しなくなった。
それまで完璧だと思っていた自分には、何もなかった。活動するのは主に仕事で、それ以外は何をしていたのかあまり覚えていない。
あった。お金。それまでの貯蓄があるから、今生きられている。
それが尽きない努力をしなければならないんだろうけど、あまりそういう気にならない。無くなったらそこでお仕舞いにすればいいと、どこかで思っている。
完璧だと思っていた頃の自分を愚かだと思うかというと、そうでもない。多分この上なく愚かなんだろうけど、その自負があったから生きてこられたんじゃないかと思うから、一概にそうとは言えない。
翻って今の方が、惨めで愚かだ。見えない価値がガクッと下がった感覚。
完璧ではなくなった。これが人生にとって何を意味しているのか。
完璧じゃない人間は、生きられないのか。外部的にどうこうではなくて、内的な問題だ。
運動しようが薬を飲もうが、何をしても治らないこの鬱積は、どこへ流せばよいのか。また、流さないで消化するのか。
置き去りにはさせてくれない。
吸収しなきゃいけない気がするが、それにはそれができるよう変質させなければならない気もする。
いつ何時も死がちらつく。でも、たとえ死んでもそれで何かが変わったり、生まれたり、無くなったりはしない気がする。だから自死を実行できないでいるんだと思う。
それは、あくまで自分自身が死ぬと自身はどうなるのか、という焦点に限った話だ。
自死するときって、どんなときだろう。
味のなくなったガム。
目が回る。疲れているのか。違うな、YouTubeを長時間観たからだ。
相対性理論なんて、どうでもいいのに。