いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2019/12/15 (日) 動画鑑賞/完成した人間

閉じた世界。

誰かと話せば、落ち着くのか。
今までそういう経験なかったんだよな。
むしろ、話したことを後悔するばっかりだった。
話すことでその先が見えたっていうためしがない。
だから避けてるんだろうな。メリットを感じられなかったから。
誰かと話をすることで心の内を変調させる、化学変化させるのが人として一般的なんだろう。
でも、そうではない人もいるんじゃないか。

やっぱりダメなのかな。こういうのは。
少なくとも生産的ではない。
自分の中をぐるぐる回るだけ。それで答えが出ればいいけど。

友人を作るって、どうするんだっけ。
あれ。どうするんだろう。
だいたい、友人ってなんだ? どういう人のことを指すんだ? 作るってなんだ?

絶望感が降りてくる。悲しくなる。

カフェインレスコーヒーって、おいしいのかな。
最近コーヒーを飲み過ぎな気がする。一日1リットル近く飲んでる計算だ。
いきなりカフェインレスの豆を買うのも気が引ける。スタバあたりで試しに飲んでみるか。

YouTubeでねこかます氏の動画を観る。
このところ、猫たちの最期を迎える動画が多い。
死の直前は、何も食べなくなるんだな。
生きることが尊いとは思わない。死ぬことも同様。
でも、この猫たちはここで死ねてよかった、と思う。
人間が大好きな猫。人間があやしたり、あやされたり。最期まで。
ねこかます氏が保護しなければ、この猫たちは一人で死を迎えていた。そういう道もあった。
でも、保護されて人間の手で病気の緩和ケアを受けることができた。
人と触れ合うほうが、結果生きやすかった。
やっぱり、人なのか。

ゴミ収集車が流しているメロディの空耳が聞こえる。真夜中。

食べ物を作って売れば、お金もらえるのかな。

相手が思っている正解を言わないと怒られる恐怖感って、みんな持ち合わせているわけではないのか。

人間性
???
人っぽさ、ということ? 規模が大きすぎてわからない。

ひとりで、完成したかった。完成した人になりたかった。
出来ることはなんでも出来ると思っていた。それは、我慢することも含まれる。それが、言ってみれば完璧な人だと思っていた。
しかし、出来なかった。完璧ではなくなった。
もう取り戻せない。完璧だった自分は存在しなくなった。
それまで完璧だと思っていた自分には、何もなかった。活動するのは主に仕事で、それ以外は何をしていたのかあまり覚えていない。
あった。お金。それまでの貯蓄があるから、今生きられている。
それが尽きない努力をしなければならないんだろうけど、あまりそういう気にならない。無くなったらそこでお仕舞いにすればいいと、どこかで思っている。
完璧だと思っていた頃の自分を愚かだと思うかというと、そうでもない。多分この上なく愚かなんだろうけど、その自負があったから生きてこられたんじゃないかと思うから、一概にそうとは言えない。
翻って今の方が、惨めで愚かだ。見えない価値がガクッと下がった感覚。
完璧ではなくなった。これが人生にとって何を意味しているのか。
完璧じゃない人間は、生きられないのか。外部的にどうこうではなくて、内的な問題だ。
運動しようが薬を飲もうが、何をしても治らないこの鬱積は、どこへ流せばよいのか。また、流さないで消化するのか。
置き去りにはさせてくれない。

吸収しなきゃいけない気がするが、それにはそれができるよう変質させなければならない気もする。

いつ何時も死がちらつく。でも、たとえ死んでもそれで何かが変わったり、生まれたり、無くなったりはしない気がする。だから自死を実行できないでいるんだと思う。
それは、あくまで自分自身が死ぬと自身はどうなるのか、という焦点に限った話だ。
自死するときって、どんなときだろう。

味のなくなったガム。

目が回る。疲れているのか。違うな、YouTubeを長時間観たからだ。
相対性理論なんて、どうでもいいのに。