いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2019/12/13 (金) 寿命

コーヒー、無くなるの早すぎ。

仕事に励めば気にならなくなるよ → そんなことはなかった
仕事しなければ治るよ → そんなことはなかった
人に話すと楽になるよ → そんなことはなかった
運動すると気が晴れるよ → そんなことはなかった
薬飲み続けてればよくなるよ → そんなことはなかった

寿命がわかるといいのに。
たぶん、わかった瞬間、道が開ける気がする。嬉しくて嬉しくて、小躍りするんじゃないかな。
今この瞬間、生の終了が遠近問わず否応なく訪れることがわかったら、これを怖いと思うか?
否応なく生がずっと続くほうが怖い。生き続けなきゃならないことの方が怖い。
例えば何らかの方法で寿命がわかったとして、それが30年後だったとしたら。
この意味が「30年以内に死ぬでしょう」ということだとしたら嬉しいか?
やっぱり嬉しいな。
これが「3年以内」だったら?
涙が出るほど嬉しいな。
「30年は死なない」という意味なら?
残念だ。あと30年は生きなきゃならない。勘弁してくれ。
「3年は死なない」なら?
あまり意味のない問いに聞こえる。
ということは、死が確実に訪れるのはいつか、がわかるといいわけで、それも現在から近ければ近いほど望ましいわけだ。

不慮の事故で死ぬのは怖いか?
突然死ぬのは良い。望むところ。
では徐々に衰弱して死ぬのはどうだろうか。
ここに、上記の「寿命がわかったら」の問いを当ててみる。
「30年以内に死ぬ」 → ちょっと勘弁だな
「3年以内に死ぬ」 → やった。もっと早くてもいい
「30年は死なない」 → むしろ殺してくれ
「3年は死なない」 → 同上
前述と答えが異なるのは、「30年以内に死ぬ」と「3年は死なない」。なぜか。

風が出てきた。寝よう。
夜、本当に余計なことしか考えないな。
しかし、これが余計なことなのか? よくわからない。
もっと頭良ければな。

誰かがいれば、違ったのだろうか。
でも、いたとして、それを絶対に避けようとするだろうし。
違わないとすれば必然か。
糸口が見つからない。内部にも外部にも。
今日は寒いな。
行動を起こす。何すればいいんだろう。
日々、仕事漬けで過ごさなければならないんだろう。それで自分無くなるのなら、それがいいのか?
宗教に頼ってもな。超人的な何者かに許しをこうというのが、いまいちピンとこない。どんな意味があるの。それ。
よくわからんものを信仰して、よくわからんものに許されても、よくわからんままだし。
それで救われるというのが、理解できない。
救い

やっぱり、一人では生きられないんだろうか。
一人じゃないと心苦しいひとは、生きられないじゃないか。

コミュニティ

味の素。とりあえず何にでも振りかけておけばなんでも美味くなるんじゃないか。

noteに投稿した記事に生意気にも「エッセイ」のタグを追加してみる。間違っちゃいないはずだ。

詩を作ってみたい。文章で何か作品を作ってみたい。
いや、作りたくない。

生きたいのでもなく死にたいのでもない。
ただ苦しみから解放されたいだけ。
死ぬことで解放されるならそうする。
生き続けることで解放されるならそうする。

苦しいのは、生きようとしているからではないのか?
だからもう、生きたくないのだ。
10代のころにぼやいてた、「30歳が寿命でいい」。
本当にそうだった。

興味がほかに向かないんだ。

苦しまず、安泰に生きるにはどうしたらいいんだ。そこだ。

みんな、どうして生きていられるんだろう。
死ぬという選択をしないのは、なぜだろう。

カップ焼きそば。限定の梅味。酸っぱすぎてあまり美味しくはない。

閉塞的だな。不健康だ。

「エッセイ」のタグ、やっぱり消す。失礼が過ぎる。