いつか消える文章

本当は、ペンとノートを持ち歩くことにあこがれている。

(noteアーカイブ)2019/12/03 徒然

要するに、pha氏はなんでもやろうとして、できる人なんだ。
「ゆるくても生きられる」というか、自分をロジスティックに律することができて、それを実行できる人なんだ。別にちっともゆるくない。はみ出し者でもなくて、社会規範は守ってるわけだし。
それができない場合、どこかに属してそれに沿った生活に、自分が合わせていかなければならない。既製の枠組みに乗っかる形。
俺はどちらだろう。どちらもできない場合はどうすればいいんだろう。
あるいは、その中間があるのか。または、さらに別の何かがあるのだろうか。

外来、本当に意味があるのか。
病気である自覚はない。現状を解決してくれるわけでもない。医者としては飲んでいた方がいいというが、薬が効いている実感もない。
人との繋がりの話が出た。
繋がるのは大事だと。味方がいるのは大事だと。
話としてはわかるが、少なくとも自分にとっては、なんの解決にもならない。これは、自分自身の問題だからだ。誰かが解決してくれるわけでもないし、そもそもできない。
医者への話をだらだら喋ってしまった。
誰かが治してくれるものではないこと。鬱の症状はあるが、鬱病ではないと思っていること。現在は原因となった職場からは離れているのに、症状が改善しないこと。鬱は脳の病気だと聞くのに、最初期の脳の検査では異常はなかったこと。いろいろ考えてはいるが答えは出てこない、と締めくくった。
元気がないという。それはよくわかっている。
根本的な解決をしなければ治らない。
そもそも、自分の「味方」ってなんだ?「敵」とは?
心の拠り所、は「味方」とは違う。親や医者は、そのどちらとも違う。
敵は? 自分を不安にさせるもの。金、人間、
人間
結局、人と金はセットで、どちらも必然的にかかわらなきゃならんものだ。
薬を増やしたからといって、何とかなるのか?
人とかかわらず金が手に入ることが至上とする中で、味方とは?

夜になると元気になる、は、典型的な鬱症状のひとつ

自分の味方は自分しかいないと思う。敵もやっぱり自分なんだろうか。
目減りする預金残高。
不安だが、敵ではない。
今までの自分が培った財産。その金で生きている。生きられている。

どこに引っ越そうか。
ウーバーやるなら、都内あるいは横浜近郊がいい。

話すのがうまくなりたい。あるいは、話さなくていい環境にいたい。

家に帰ってきて、何もやる気がしない。
少し頭痛がする。

そもそも、死なないことを約束する、ってなんだ?
なんであなたとそんな約束しなきゃならんのだ?
死んじゃダメなのか?